1.闇の温度

いつもと変わらない夜。

場所と人物の指定。
斬撃。
悲鳴。
血。血。血。

そして、その向こうに見える冷ややかな視線の彼女。
俺が斬り殺した女。巴。

彼女に会えるから、俺は人を斬り続けた。
たとえ、その表情が笑顔ではなくとも。

京の山に日が沈む。山から覗き込むような赤と、町の黒とが織り成す光景は、見慣れた今でも思わず目を留めるほど絵になる風景だ。
だがこのところは、その陽の色でさえ血に見えることがある。山ごしに、赤と黒の不吉な巨人が、地獄の釜を覗いているような悪趣味な想像をかきたてる。
すべてが赤と黒で染まる。
そして闇と静寂が来る。
それが俺に死を思わせるのかも知れない。俺が毎日のように作り出す光景だ。

襖の外に気配がする。凛然とした、若い男の気配だ。彼自身も相当の凄腕だというのが襖越しでも分かるというのに、決して剣を振るわない男。それが、俺の守るべき男だった。
「緋村、行けるか?」
「ええ」
部屋の前には正装した小奇麗な男が立っている。整った顔立ち、あふれる教養、柔和な笑顔。こんな優男が血気盛んな志士たちを束ねているとは。彼と行動を共にするようになってから大分経つ今でも、そう思う。もっとも、俺も体躯に関しては人のことは言えない。
「今夜は三条のよし井でしたね。桂さん」
「そうだ。すまないが、またよろしく頼むよ」
形だけの笑顔を浮かべる桂さんの後ろから、見知った顔がのぞく。
「薩摩のオエライサンが桂さんに会いてぇっていうからよ。よろしく頼むわ、緋村」
「全力を尽くします」
「おう、お前の全力は『絶対』だからな、今のところ。心強いぜ」
そう。剣だけが、緋村剣心の存在意義であり、理由だ。
「先に謝っておく、緋村。今はほとんど知られていないが、遊撃剣士になってもらうせいで、次第にお前の顔も売れ出すだろう。そうなれば、俺ではなく、お前を狙う輩が増えることになる」
「構いませんよ。人を守るより、自分の身を守るほうが守りやすいですから」
まったく、桂小五郎という男は食えない男だ。それを知っていて、毎回俺を連れまわしているんだろうに。
「そう言ってくれると救われるよ」
会合場所の門をくぐりながら、彼は振り返って微笑む。すでに門前で案内の女中を虜にした笑顔だ。
「おいでやす。どうぞ、離れのお二階、浮船へ」
女将は笑顔で答える。このご時世に三条で暖簾を出す店だから、もちろん部屋まで案内するような無作法はしない。
「いつでも幾松さんをお呼びする準備はできとります。どうぞ、お声がけを」
「はは、これは参ったな。終わったらぜひお願いするよ」
「そちらの方は? 祇園? 三本木? それとも島原どすか?」
「俺は結構」
「それは失礼いたしました。では、どうぞごゆっくり」
女将の足音が遠のく。人の気配がひとつでも減るのはよいことだ。それだけ、集中力が高まる。
「緋村、まだ女は駄目か?」
「……駄目とか、そういうんじゃないですから」
「そうか、そうだな」
部屋の前に着いても、すぐ入るような真似はもちろんしない。まずは気配をうかがう。それから、主賓である上司と二人、顔を見合わせた。
「先方はまだ来ていないようですね」
「ああ、気配がない。先に来ているという話だったが……」
「とにかく、俺が先に入ります。桂さんは下がっていてください」
これまでも、待ち合わせ場所が罠だったことや、相手が現れなかったことは何度もあった。今回もそんなうちのひとつだろう。抜き身を手に、一気に襖を開けて踏み込む。
「……!? どういう、ことだ……?」
中では、四人の男が血を流して息絶えていた。
むせ返るような血と肉と酒の匂い。そんな光景はこれまで何度も見てきた。
だが、怖い。
竦みあがるような恐ろしさがここにはある。
なぜ、ここは、
――――なぜ、ここは、こんなにも静かなんだ――――

神妙な顔で部屋を見回す上司に、声をかける。それが原因の解明につながるとは思えなかったけれど。
「先に刺客が来たんでしょう」
「おそらくな。だが……これは……」
「桂さんも感じますか?」
「ああ、人が死ぬのは何度も見てきたが……。これは、魔物の仕業か………?」
「分かりません。ただ……」
改めて現場を見回したとき、自分が震えていることに気づいた。桂さんも、無意識に両手で自分の身体を抱え込むようにさすっていた。
この部屋だけ、ひどく空気が冷えている錯覚に陥る。
「これは、ただ殺しただけ……。そんな感じです……。意思がまったく感じられない……」
頷いた桂さんのくちびるは、青く震えていた。
「……人間に、こんなことができるのか……?」
「少なくとも……俺が知る範囲では、こんな殺し方ができる人間はいません」
その事実を伝えることだけが、俺にできる精一杯だった。

「それじゃ、気をつけて帰ってくれ」
「ええ。桂さんも」
「私はしばらく、対馬藩邸の世話になることにするよ」
「分かりました。皆に伝えておきます」
そうは言いつつも、桂さんの駕籠は対馬藩邸とは別の場所へ向かう。人の死に居合わせると、彼は決まって幾松さんの顔を見に行く。
『自分が生きていることを実感するためだよ』
いつだったかその習慣は危険だと指摘した俺に、彼はそう言った。そんなものだろうか。俺にはよく分からない。
「うー……」
前からの声で我に返る。
女の声?
確かめるために、持っていた提灯を向けると、足元の大きな突起物につまづいた。動揺が残っているのだろうか。声との距離感がうまく掴めていなかったらしい。その障害物は柔らかく、あたたかく、声を出した。
「きゃっ!」
「す、すまない……! 怪我は……?」
一瞬わけが分からなかったが、あたたかかく柔らかいそれが、石木であるわけがない。
「だ、大丈夫……。ごめんなさい、ぼーっと歩いていたものだから……」
子どもの声? こんな時間に?
明かりを向けると、俺の胸ほどの背丈しかない女の子が、潤んだ目でこちらを見つめていた。年頃と出で立ちを見れば、おそらくは彼女が禿だということが分かる。
「お兄ちゃん、大丈夫? 提灯で火傷しなかった?」
「あ、ああ。大丈夫。君こそ大丈夫か?」
大丈夫、大丈夫、と素っ頓狂な会話が続く。
「わたしは平気。でも、ちょっと酔っ払っちゃって……」
言われてみれば、足元がおぼつかないうえ、視線が安定していない。なるほど、それは酒に酔った者の症状そのものだ。
「酔っ払ってって……君が酒を飲んだのか?」
「ん……うぅん……。私じゃなくて……。周りの人たちが飲んでて……匂いで……んむぅ……」
話しているうちに、少女の顔色がみるみる変わっていく。それにつられるようにして、大きな瞳が閉じていった。
「だ、大丈夫か?」
「気持ち……悪くて……。でも……船酔いのお薬湯飲んでも治らなくて……」
それはそうだ。酒酔いに船酔いの薬が効くわけがない。もうほとんど立っていられない状態じゃないか。
「とにかく、送っていくよ。さ、おぶさって」
「え……いいよ……。悪いよ……」
咄嗟に少女は遠慮する。が、言葉とは裏腹に、呂律も怪しくなってきている。
「子どもは遠慮なんてしなくていい。さ、乗って」
「わ、わたし重いよ……?」
「何言ってるんだ。こんな、朝餉膳より軽い体のくせして」
遠慮する少女を無理やり背負う。その軽さは、生命が詰まっているのかどうかすら疑わしいほどだった。
「ごめんなさい……」
「気にしなくていい。さ、家は?」
背中からの返事は、安らかな寝息だった。
「……まったく……。とんでもない拾い物したな……」
背中から伝わるその温かさが、さっき見た薄ら寒い世界から来る底冷えを遠のかせてくれていたことを、彼女を降ろしたときはじめて知った。
因果なものだ。血に染まった闇夜には、不思議な拾い物が落ちている。拾って後悔したことは、きっとありはしないけれど。

宿に着き、他の同志に見つからぬよう素早く部屋へ戻る。ただでさえ男所帯でそのテの話題ばっかりなんだ。そこに俺が女の子を連れて帰ったなんて知れたら、格好の玩具にされてしまう。



一組しかない布団は、この娘に譲ろう。座って寝るのは慣れている。そっと腕をはずし、背中から下ろす。
重苦しい禿装束を脱がせようとしたところで、明かりをつけるのをやめた。幼子相手に馬鹿らしいとは思いつつ、目を逸らすようにして闇の中、少女の装束をゆるめた。布団をかぶせたその後で、ようやく明かりをつける。
「ん……」
驚いた。
改めて明るいところで見ると、えらく綺麗な女の子だ。
子どもなのに、その寝顔にはかわいらしさではなく、色気すら漂っている。子ども特有のすべすべとした肌、長い睫毛、柔らかそうな髪、紅を差したように赤いふっくらとした唇。
「おにいちゃん……だいじょうぶ……?」
見入っていたところを呼ばれ、狼狽する。
「大丈夫だよ、あのくらいじゃ怪我なんかしないよ」
よほど俺を心配してくれているのだろう。当然と言えば当然だ。小さな女の子と大人の男じゃ、ぶつかった時の衝撃の度合いが違うなんてことが、分かるはずがない。
「ぅぅん……けがじゃなくて……」
「え?」
「おにいちゃん……こわがらなくてもへいきだよ……。わたし、そばにいるから……」
きゅうっとちいさな両手で、俺の手を包む。幼い体温は、骨ばった冷たい俺の肌にしっとりと馴染んだ。
「へいき、だからね……。こわく、ないからね……」
不思議だった。
眠る彼女のぬくもりを感じている指先から、さきほどの氷の恐怖が溶け出していく。
それと同時に、どうしようもない眠気が襲ってきた。かつて感じたことがないほどの眠気だ。この眠りに誘われたら、いつもの浅い眠りではなく、深い深い眠りに、間違いなく落ちていくだろう。
ああ、でも、大丈夫だ。
こんなに心強い味方がいるもんな。まさか、人斬り抜刀斎がこんなかわいい用心棒を雇うことになるとは思わなかったけど。
………明日、からかわれるんだろうなぁ……まぁ、いいや………

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