4.殺意のない部屋

「ずいぶん軽いね」
「之定は肉薄だが、斬れ味は悪くない。総司の三文刀よりゃ、マシなはずだ」
「沖田のお兄ちゃんの……どんな刀だったっけ……」
「ヤツの刀は、どこにでもある安モンだよ。弘法筆を選ばずってやつだ。だが、俺のは安いシロモンじゃねえからな。お前の首と交換なんてのは、勘弁してくれよ」
「分かってる」
「時間は三本分だ。それじゃ、俺は寝る」
それだけ言うと、土方はごろりと横になった。彼から預かった刀を、少女は刀箪笥に納めることなく、手の中に持ち続けていた。行灯の明かりを受けて鈍く光る刀は、眠る猫のように少女の腕に懐いて、納まっている。
禿装束のまま障子を開けて、草履を片手に窓の欄干へと足をかける。外の煌びやかな騒々しさは、こんなとき少女をほっとさせた。
島原の夜は早く、深い。戌の刻ともなれば、まさに夜は酣だ。いまだ客を獲ない客引きの妓たちが誘う声や、すでに酔い心地の男たちの陽気な声、そしてそれらを彩る窓明かり。まるで、浮世とは別天地だ。
夜になるたび思う。
みんな一体、何から逃げたがっているのだろう。
ほんのひととき忘れたところで、夢から覚めれば、なにひとつ変わらないのに。空々しい馬鹿騒ぎに、誰もが騙されたふりを決め込む。
それでも、自分も所詮その中の一人に過ぎないのだと思うと、少女は少しばかり落ち着くことができた。きっと誰もが、そんな不安や虚ろさを、一瞬だけでも共有したがるくらい怯えているのに。それだけなのに。
どうして時代だとか平和だとか自由だとか。そんなものを盾に殺し合わなければならないんだろう。
眠っているのか起きているのか分からない土方の背中も、あの夜出逢った赤い髪の侍の寝顔も。同じように疲弊してくすんでいる。それでも刃を向け合わなければならない理由を、少女は思いつけなかった。
「おやすみなさい」
そう言って、少女は音もなく闇へ飛んだ。
どうか、いまこのとき、この場所でだけでも、安らかに。
透きとおりすぎたその願いは、人知れず夜の闇に染まっていった。
「……ガキに汚れ仕事させるなんざ、お上も相当手詰まりだな。こらぁ、長くねえかもしれねぇよ、勝ちゃん」
少女の居なくなった寝床で、土方がぽつりとつぶやく。結局いまできることといったら、ここで眠ってひとときの安らぎを得ることだけだと、自分を皮肉りながら。

畳に残された血はまだ温かかった。その部屋で直前までされていたはずの呼吸の熱さえ、まだもったりと部屋に残っていた。
後ろ手に襖を閉めて、剣心は首を振る。その仕草で、桂は部屋で何が起きていたかを知った。
「またか……」
「ええ」
「ここ最近、まともに人と会えたためしがないな」
桂がため息をつく。機智に富んだ言葉とは裏腹に、表情は深刻だった。これでまた『桂と会う者ばかりが殺される』という風評の火勢が増すわけだ。
「……すまないが、私は幾松のところへ行くよ」
「はい」
「お前は?」
「桂さんを送ってから、帰ります」
いつもは一人でよいと断る桂も、今日ばかりは剣心の申し出に頷いた。金子を置いて、後始末を亭主に言い含めると、手早く店を後にする。
一町ほど歩いて、長州と懇意の待合茶屋で腰を下ろすと、ようやく桂から眉間の皺が消えた。通りがかった女中に、今夜の幾松の出先を調べてくるようことづける。それから大小の刀を預けると、通された部屋の壁に寄りかかるようにして、桂は目を閉じた。
こんなふうに、桂があからさまに疲労を見せることは珍しい。剣心は無言のうちに彼がいかに疲弊しているかを読み取った。
「ああ、緋村。お前はもう帰っていいぞ」
「いえ。お疲れのようですから」
「すまないな」
目を閉じたまま礼を言うと、桂は人差し指と親指で眉間を強く揉んだ。疲弊と苛立ち。そして、それらを表に出すことを許されない立場の人間の姿だ。
「ごめんやす。幾松姐さん、お呼ばれ中やて。終わったら、ここへ呼びにきてくれはるように頼んできましたよって」
「ありがとう」
「どうぞごゆっくり」
心得た女将は、襖も開けずにそれだけ告げた。桂はようやく目を開けると、出された茶をひと口飲んで話しはじめた。逡巡に蹴りをつけたかのような、いかつい口調だった。
「緋村。あの太刀筋、気づいているか?」
「流派のことですか? 確かに、見たことのない太刀筋です」
「そっちじゃない。刃筋のほうだ」
「刃筋?」
言われて、剣心はいままで見た死体の傷口をできうる限り思い出す。首ごと薙ぎ払われていたり、脳を割られていたり、髄を通る太い血管を断たれていたり、心の臓をひと突きにされていたり。いずれも、一太刀めが致命傷になったものばかりだ。太刀筋も手癖もない。まるで、空気に斬られたような無個性がそこにはあった。
「……違う刀を使っている?」
「ああ。じっくり見る暇などなかったから、すべてが違うとは言い切れないが。少なくとも三本は違う刃筋だった。それも、似通っているわけじゃない。肉薄のものもあれば、剛鋼のものもある。それぞれ別の人間の仕業なのかもしれんな」
「だとしたら厄介ですね。ひとりを潰せばいいだけの話ではなくなる」
「その通りだ。だが、長州、薩摩、肥後、土佐に対馬、会津に見廻組まで、あらゆる筋が躍起になって探しているが、何の手がかりもつかめない。ひとりなのか、複数なのかすら」
押し黙る剣心に、桂は深くため息をついた。肺から疲労を排出してしまいたい、そんなため息だ。
「なんにせよ、藩同士、志士同士が疑心暗鬼になっている。この状態が長く続けば、いろいろと不味いことになる。連中のなかには、物の怪の仕業だとか言い出す人間まで出ている始末だ」
「幽霊に、人は殺せません」
もしそんなことが可能ならば、とっくの昔に自分は死んでいるはずだ、と剣心は思う。殺意が明確であるにせよ、茫洋としているにせよ、意思をもって人を殺すのは、人間だけだ。骨身に染みて知っている。
「その通りだ。いまは手がかりがないとはいえ、じきに何かしら埃が出てくるだろう。その時は――――」
「分かっています。俺が、斬ります」
「頼む」
沈黙の塊は、いつまでもその部屋に重く沈んでいた。意地の悪い猫のように。

「土方はん、どうぞまたご贔屓に」
大仰に頭を下げてみせる女将に、土方は片手を上げて表面だけの挨拶を返してから、振り向いた。
「預けていた刀を出してくれ」
「どうぞ」
少女が差し出した刀を受け取ると、土方は親指を使ってほんの少し鍔を押し上げる。顔を覗かせた刀身には、血の染みも脂の曇りもない。検分するように目を細めると、すらりと下げ緒に結んで腰に差した。
「確かに。また邪魔する」
「へぇ、えらいおおきに」
女将の隣で、少女は静かに頭を下げる。奥まった玄関を出て行きながら、少女の頭の小ささに土方はなぜか苛立った。
「またどうぞご贔屓に」
先立っての客が玄関を後にしたのを受けて、見送りの面々が入れ替わる。したたかに酔った男たちと、胡粉にまみれた女たちの笑顔。この街のどこにでもある光景だ。
玄関先で名残を惜しむ人々の脇を少女が通り過ぎようとしたとき、中心にいた芸妓が、こっそりと少女を呼び止めた。
「あんな、悪いんやけどな。この先の小津和野屋って店で、人を待たせとるんよ。ひとっ走り知らせて来てくれへん?」
「分かりました」
「おおきに。これ、お駄賃な」
少女の頭をそっと撫でると、芸妓は少女に花ぼおろを握らせる。手の中の宝物を見て、少女は満面の笑みで返事をすると、跳ねるようにして玄関を飛び出していった。
背中で揺れる少女の帯を、微笑ましく見送っていた芸子に、女将が声をかけた。
「おつかれさん。他の子たち、若い衆に店まで送らせるよって。お白湯用意したさかい、ひと息つきいな」
「おおきに、女将さん。ところでさっきのコ、新顔どすか? 初めて見たような……」
「ああ。葵屋からの口利きなんよ」
「引込ですのん? ええ器量やったわ」
「あても、普通に貰ったんなら、そうしたいところなんやけどなあ。行儀見習いなんよ。水揚げできひん娘を入れるのは、できれば遠慮したいとこなんやけどな」
「行儀見習いうことは、お武家様の娘さんなん? どうりで、吾妻訛りなわけや」
「さぁなぁ。素性は聞くな言われてるんよ。気をつこて、躾けにならんかったらいかんて」
「へーえ。そら、えらい預かりもんしはったなぁ」
「せやかて、こないなきな臭いご時勢やもん。葵屋と懇意にしとけば、悪いことはあらしまへんからなぁ。おかげで、うっとこだけここんとこ血ぃ見てへんもん」
女将が何を言っているのかを察して、幾松が目を伏せた。公然の秘密とはいえ、自らの口で桂の苦労を語ることは憚られる。作り笑顔で話を聞く幾松に代わって、となりで白湯をすすっていた天神が口を開いた。
「ああ、最近聞きますもんなぁ。なんや、長州のお偉いさんに会おうとするもんばかりが殺されるって……」
「しぃっ! あんなぁ、幾松姐さんの前で……」
「おおきに。気にしなくてええよ」
「けど、幾松姐さん。桂はんも、さぞご心労やろ。いっくら荒事の多いご身分いうても、こう周りで次から次へと人が死んでばかりじゃ……」
「せやから、幾松姐さんが会いにいくんやないの」
「やぁん、泣かせるやんかぁー!」
「ええわぁ、美男美女、うらやましいわぁ」
「もう、からかわんといて!」
きゃっきゃと騒ぐ女郎や芸子たちが、幾松を囃し立てる。若干声が高いとは思ったものの、仕事が終わった女たちの軽口を、女将は微笑ましく見守った。やれ祝言はいつするのかだの、どこの志士が誰と馴染みだの、女たちの話題は尽きることがない。話すうち、話題の中心から逸れた幾松に、女将がそっと声をかけた。
「そろそろ桂はん、来はるやろ。部屋、上に用意してありますからな。あんたは頃合い見て抜けとき」
「おおきに。せや、お客はんからもらった金平糖、さっきの禿にあげよ。ええと……」
「ああ、名前? 実はね、うちらも知らされてないんよ。せやかて、預かりもんの手前、勝手に名付けるわけにもいかんし……」
「姐さんたちは何て呼んではるん?」
「みんな好きに呼んどるなぁ。あづまとか、おひぃさんとかおかざりさんとか……」
「なんや、気持ちいい呼び名やないなぁ」
「仕方ないんよ。特別扱いやゆうのに、吾妻訛りとあの器量をもの珍しがった上客がついたりしてな。うちもほかの娘たちの手前、何でも口出したらええいうもんやないし。あの子も、それでなんも気にならんみたいや。口数の少ない子やし」
「口が重い禿は、うちらからしたらありがたいけどな。なんや、けったいな子やなあ……呼び名がないなんて……」
用意された部屋へと続く階段を上りながら、幾松は少女が消えた玄関へ振り返った。
出て行った少女の笑顔を思い出そうとする。
けれど不思議なことに、おぼろげにしか輪郭が浮かんでこなかった。

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