1.シンボル

政治家やアイドルなんてのに人格があるなんて、考えたこともなかった。
彼らはテレビや新聞の中で不特定多数の人間に語りかけ、笑い、それが自分の役割であることを主張する。
たまに露出させる人間臭さだって、演出がかったものにしか見えなかったし、あながちそれは間違いではなかっただろう。
だから遠慮会釈なしに憎み、嫌うことができた。
「殺してやりたい」
ためらいもなくそう思えた。
彼女に―――より正確に言えば、一人の少女としての彼女に―――そこで会うまでは。

海に臨む小高い丘にあるモニュメントは、いつも通り四角四面で形式ばったものだった。
同情や哀れみでごてごてと飾り立てられるよりはよっぽどましだが、型通りの無機質さは命を数として扱っているように思えて、シンをやりきれない思いにさせる。
だが、たとえその碑がどんな形であったとしても、やはり自分は納得などしないのだろうなと思い直す。
そして、軍人としてやはり命を数字の上で扱ってきた自分の過去を思考の奥に追いやる。過去から逃げ出すつもりはなかったが、如何せん今は押し寄せる情報が多すぎた。
情報を処理しきれなくなる前に、思考をシャット・ダウンする。
2年間の軍隊生活で学んだことのひとつだ。

失ったもの。家族、恋人、友人、国、居場所。そして敗戦。
公には『成人』として扱われる身分だった。だが、たった16年しか生きていない少年の頭が、戦争とそれに伴う葛藤を処理するにはまだまだ時間が必要だった。

まだ陽も昇らぬうちに一人で来たのは、一人きりで向かい合いたかったから。
さっぱりとした性格の恋人(というほどには彼と彼女の関係は穏やかでも甘くもなかったが)は、シンの物思いを気にしないふうでいて、細やかに気を使ってくれる。昨晩も、瞳に暗い陰を落とすシンに気づかぬふりをしつつ、他愛もない話で笑わせてくれた。
恋人というよりも、姉と弟という関係のほうがしっくりくるかもしれない。

(マユ。マユや母さん父さんに会いたい会いたいって思ってたら、姉さんができてたみたいだよ
いつの間にかオレたち三人姉弟になってたんだな。
……ああでも、メイリンを入れたら四人姉弟になるのか?)

突拍子もないことを思いつく自分に、思わず噴き出しそうになる。
戦没者慰霊碑に向かう途中でそんなことを考えられるようになったのは大きな変化だった。
そう、世界は変わっていく。思いが世界を塗り変えていく。
望むにせよ、望まぬにせよ。

先客がいるなんて思いも寄らなかった。
赤道に近いオーブでは、一年を通じて日の出の時間がほぼ決まっている。
夜明け前と知りながらわざわざこんな時間を選んだということは、人に会いたくない何らかの事情があるということだろう。
シンが先客を警戒するのは無理からぬことだった。

「……シン?」

振り向いた輪郭が、わずかな月の光で浮かび上がる。
女性としてはやや低めのよく通る声。
映像や紙を通して幾度となく目にしたことがあったし、実際会って話をしたことだってある。
けれど今目の前にいる彼女は、彼が知る彼女とはあまりにもかけ離れていて。
わずかに驚いて振り返るその姿は、今にも闇に溶けてしまいそうに細く、薄い肩を震わせていた。

「……こんな時間に………」

何か言いかけたようだったが、それが最後まで言葉になることはなかった。
意味のない挨拶としての質問なんて、今は必要ない。
深夜一人で歩いているという時点で、若き国家元首の至極プライベートな時間に居合わせていることは想像がついた。

泣いているのだと思った。
けれど、カガリの頬は乾いていた。
それがますますシンの胸を刺した。

「……護衛もなしにこんな夜中に、いいのかよ?」

『護衛』。
それが誰を指しているのかは明白だった。
けれどなぜか、今は彼の名前を口にしないほうがよいとシンは思った。

「……アレックスはMIAだからな」

MIA。
Missing In Action―――戦時中行方不明者。
アスランとカガリの間に限り、MIAがそれ以上の意味を持つことをシンは知っている。
そして人一倍不器用な元上司が、今だMIAで居るその意図も。

「そろそろ賞恤金を払わなくちゃいけないよな」

おどけたようにカガリは唇だけで笑って見せた。
メディアの中で見たことのある笑み。
作った笑顔。

「手切れ金てわけか?」

カガリの笑顔も、煮え切らないアスランの態度も、なぜかシンを苛立たせる。

「金で切れるような縁ならよかったんだろうけどな」

崩れる。
瞬間、そう思った。
たとえば、長い間湿気の中で眠っていたパピルスを手に取ったときように、支えのない積み木のように、窓辺に置かれた紙束のように、カガリがばらばらに崩れ落ちるような気がした。
それを望んでいたはずなのに。
『オーブの国家元首』なんて、『アスハ家の人間』なんて、ずたずたに傷ついて死んでしまえばいいと思っていたはずなのに。
目の前に居るのは、ただの少女だから。
自分より小さな女の子だから。

こんな時、どうしたらいいんだっけ―――

「ちょうどよかった。お前とちゃんと話したかったから」

意外な言葉に、シンが怪訝な顔をする。
カガリと同じ艦に乗りあわせたことはあれど、一介の兵士と国賓という立場だったはずだ。
おまけに、自分は国際問題になりかねないほど反抗的な態度をとってばかりいた。

「情けない話だが、私はお前に言われるまで『オーブ国民』が暮らす国、として国を考えていた。『シン・アスカ』、『マユ・アスカ』ではなく、『オーブ国民』という数字や傾向としてひとくくりに考えていたんだ」

同じ感覚をシンは知っていた。
数字の上での戦死者。数としての犠牲者。撃墜したモビルスーツの機体数。
腕の中で冷たくなっていったステラ。憎悪と悔恨。みるみるうちに膨らむ負の感情。
作戦室で飛び交った数字の分だけ、同じ思いがあったと知った。
それに気づいたときの絶望と、もう戻れないという諦め。
戦場と議事堂という違いはあれど、無知への絶望ほど救いのないものはない。

「最低の国家元首だった」

(なんだよ、いまさら)

口には出せなかった。
多くのことを知ってしまった今となっては、単純にカガリを責める気にはなれない。
けれど手放しで許せるほどは割り切れなくて。
もごもごと言葉にならない言葉で唇を濁す。
海風の音も手伝って、シンの言葉は宙へ四散した。

ふと、風の音に混じって人の名前が聞こえた気がした。
気のせいだろうか。
だが、3人、4人、5人と名前は増えていく。

「……マユ・アスカ……」

妹の名が挙がったとき、それが何を示しているのかようやく理解できた。

「あんた、全員の名前を覚えているのかよ」

挙がった名前が刻まれている碑を見遣る。
暗闇で名前を読み取ることはできない。
覚えていなければここまで明確に並べることはできないはずだ。

「せめて名前だけでも覚えていたいんだ。『犠牲者』とひとくくりにしないように」

ふいに、怒りがこみ上げてきた。
何の前触れもなく。

(あんただって十分犠牲者じゃないか。
父親や友達を殺されて、そんな年で政治の舞台に担ぎ出されて、好きな男と会うことすらままならなくて、しかもそれを受け入れようと達観しそうになって!
『せめて名前だけでも』なんて言いながら、自分は名前も人格もない殉教者にでもなるつもりかよ!?)

「話せてうれしかった。それじゃ、邪魔して悪かった」

シンの憤りなど知る由もなく、カガリはシンの横をすり抜ける。
触れそうになった肩の薄さと、自分より低い位置にある小さな頭が、シンの中の何かを突き崩した。

「アンタさ!」

カガリが振り返る。
燃え立つ赤い双眸が、闇の中に鮮やかに浮かんでいた。

「本ッ当最低な国家元首だよ! こんな真夜中に護衛もつけずにさ! 常識はずれもいいとこだ!」

唐突に浴びせられたシンの無礼な言葉に、カガリは怒るというよりも呆気にとられる。

「けど、ここはオレの国だから…………」

『オレの国』。
不明瞭な頭でも、その言葉が何を意味するのかはおぼろげに理解できた。

「アンタにオーブをしっちゃかめっちゃかにされたらたまんないからな! アンタがバカしないか、オレが見張っててやるよ!」

そこまで一気にまくしたてると、今度はうって変わって小声になった。

「…………ついでに、護衛ぐらいはしてやるよ」
「シン、おまえオーブに……」
「も、元ザフトの赤服がボディガードになってやるんだ! ありがたく思え!」

なかば自棄であるかのように、シンは言葉を荒げた。

「……そのかわり、絶対いい国にしろよ」

少年らしさの残る言葉とは裏腹に、その眼は戦禍をくぐり抜けてきた軍人の切実な光を湛えていた。

「ハウメアに誓う」

その日、オーブ首長国と地球連合の間で正式に独立条約が調印され、名実ともにオーブ首長国は独立国としての復権を果たした。
講和会議の片隅にいた新しい護衛に気づいた人間はそう多くはなかったし、気づいたとしても政治的な場でさほど気に留める人間はいなかった。
同日、オーブ軍一佐アレックス・ディノのMIA捜索活動が正式に停止された。

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