時計仕掛けのハロー・アゲイン

「頭のツクリ自体は悪くないはずなのよ、ソースケって。問題は、時間をどう取るかよね」
「むぅ」
「アンタね! 真面目に考えてるわけ? 学力テスト1週間前のこのご時勢に、4日も休みくさっておいて!! このままじゃ赤点王国の王座に君臨よ!? 国じゅうの臣民から『下にぃ~下にぃ~』みたいなどえらい扱いになっちゃうのよ!?」
「悪くない待遇に聞こえるが」
「聞こえるなっ!!」
手にしていた古典小テストの答案用紙を手早く丸めると、かなめは即席兵器を宗介の頭にふりおろした。
ぱこっという炸裂音に、商店街を行く人々が振り返る。男子学生がアスファルトにつっぷした状況に首をかしげながらも、『派手に転んだんだろう』と無理矢理納得して、人々はまた通常営業へと戻っていく。若干過激ながらも、毎朝の陣代高校の登校風景だ。
「椿くんとかバイトしてる子たちもさ、テスト前はシフト調整してるってよ? ソースケもミスリルのほう、テストん時だけでもなんとかならないの?」
「難しいだろう。そもそも、こちらの都合を聞いてくれるような状況と場所ならば、戦術作戦は展開されない」
「んなこといっても、テストだってこちらの都合を聞いちゃくれねーわよ?」
「困ったものだ」
「ヒトゴトみたいに言うなっ!」
「そんなつもりはない。俺なりに努力はしているつもりだ」
「……そうよねぇ。メリダ基地にも教科書持ってってるくらいだし……」
「うむ」
「ソースケ真面目だし、時間さえあれば付け焼き刃くらいはなんとかなると思うんだよ。テスト前とテスト中だけでも、ミスリルのほう何とかならないの?」
「俺の場合、一応そちらが本業だからな。難しいだろう」
「相良ぁっ! ここで会ったが百年めェッツ!!」
会話を割り込むようにして、スポ魂漫画のような雄叫びとともに、椿一成の怪鳥蹴りが宗介を襲った。鋭い一閃を紙一重でかわすと、宗介はじりじりと一成との間合いを測る。
「突然なにをする、椿」
「なにが突然だ! 一昨日の俺との果たし合いはどうしたっ! 毎度毎度すっぽかしやがって!! 」
「いつも思うのだが、俺の都合を聞こうという意志はないのか?」
「やかましい! 今日こそ引導渡してくれる!!」
「先に教室いくわよー。二人とも、遅刻しない程度にねー」
背後の死闘をあっさり見捨てて、かなめは何ごともなく校舎へ向かう。
昇降口をくぐって、無造作に下駄箱から上履きを取り出す。適当にあいさつをかわしながら教室へ向かいつつも、頭ではあいかわらず宗介のテスト対策を練り続けていた。
なにしろ、切羽詰まった状況なのだ。ただでさえ文系科目を中心に成績がおぼつかないというのに、宗介ときたら学力テスト直前のこの時期に、4日も欠席しているのだから。
追試だの補習だのと、教師たちはなんとかこれまで宗介を見捨てずにいてくれているが、次回に保証があるとは限らない。なにせ、もうすぐ3年生なのだ。陣代高校はがつがつとした進学校ではないとはいえ、進級すれば1、2年の時より成績に対してシビアな目が向けられることは避けられないだろう。
進級にむけて就職・進学ガイダンスが控えているし、クラスメイトから就職ガイドや大学パンフレットを取り寄せたという話も耳にしていた。
分かりやすいかたちで、人生が次の段階へ進もうとしている。それは自動的で不可避で、誰にでも訪れるものだ。当然、かなめと宗介にとっても。
なるべく考えたくなかったことを考える。
『ウィスパード』なんて厄介な能力を持っている自分の将来は、どうなるのだろう?普通に大学へ進むのだろうか?
バニという人物がそうだったように、企業の研究機関に就職するのだろうか?
それとも、テッサのようにミスリルだかどこだかの軍に所属することになるのだろうか?
その選択肢すら、『もし自分の意思で決められるなら』という条件が付く。分かっている。明日にでも、自分は自由を失うかもしれない身なのだ。『アマルガム』だとか『どこかの政府や企業』だとか、得体の知れない脅威によって。
特殊な能力を持ってしまったがゆえに、課せられるだろう特殊な将来。考えないようにしてきたけれど、遠くない未来に結論は出さねばならない。
暗くなりがちな思考を打ち切ったのは、埃をはらいながら追いついてきた宗介だった。
「まったく、朝からなんなのだ一体」
「ソースケ。決着は着いたの?」
「うむ。生活指導教諭に解散を命じられた」
「あ、そ」
教室への廊下を歩きながら気づく。特殊な境遇といえば、宗介もそうだ。なにせ、陣代高校へ入学してきたこと自体、彼にとっては任務の一貫に過ぎなかったのだから。
『俺の場合、一応そちらが本業だからな』
さっき聞いた言葉を思い出す。宗介は考えているのだろうか、この先のことを。以前見せていた『未来のことなど考えている余裕はない』という態度からは、変わってきたように思えるけれど。
「ねえ、ソースケ。ちょっと聞いてみるんだけどさ、アンタって卒業したら……」
かなめの質問は、タイミングよく鳴った予鈴にかき消された。

朝のホームルームが終わると、そのまま担任の神楽坂恵里受け持つ1時限めの英語が始まった。かなめはといえば、なんとなくノートをとりながらも、頭はずっと今朝の疑問をこねくりまわしていた。

『本業』
宗介はそう言った。
そう、宗介の本業はミスリルに所属する傭兵だ。本来なら、彼の成績を気にしたり、卒業後の進路を聞くほうがお門違いなのだろう。
とはいえ、宗介いわく、今は任務ではなく自分の意思で高校へ通っているらしい。彼なりに何か将来を考えているのかもしれない。それでも、宗介が傭兵稼業へ主軸を置いていることは明らかだった。
混乱する頭にひと区切りつけようと、かなめはノートの片隅にぐしゃぐしゃと何重にも円を書き綴った。ぼんやりと教室を見渡す。どこにでもある凡庸な授業風景。ぬくぬくとごく普通の家庭で育っている大抵の男子生徒に比べると、やはり宗介はどこかしらぎらぎらと異彩を放っている。けれど、こうして机を並べているだけならば、とりあえずは教室に溶け込んでいる。
もしも。もしも、宗介がミスリルの傭兵ではなくて、ごく普通の高校生だったとしたら? どんな少年だったのだろう?
罪のない想像をしてみる。日本の、ごく普通の家庭で育った相良宗介を。
顔立ちはきっと、今より柔和なはずだ。ちょうどいつぞや宗介と入れ代わった、吉良浩介のような感じかも知れない。生真面目な性格は生来のものだろうから、そのままだとして。それなら、成績で悩む必要がない優等生だろう。突っ走りがちな性格は、今どきならオタクな方面へ発揮されるかも知れない。現に今だって、風間信二と気があっているようだし。ごく当たり前に日本で過ごしていたら、宗介は『ちょっと善良なオタク』に育っていたのではないか。
悶々と想像を膨らませるかなめは、中空をにやにや眺めて一人の世界に入りこむ。1限目終了のチャイムが鳴ってもなお、彼女は妄想の世界にいた。
「やっぱベタに転校生とか……。いやいや、意表をついて幼馴染みとか? うーん、委員長とチョイワル小僧ってのも盛り上がるかも……」
「カナちゃん? さっきから何ブツブツ言ってるの? パラレルものの同人誌でも出すの?」
「ひぃっ!! きょ、キョーコ! どうしたの? こんなところで……」
「こんなところって、私だって2年4組の生徒だよ……」
「そ、そーだったかしらね? うは、うはははは……!」
「まさか千鳥……。今朝、俺が目を離した隙に幻覚作用のある薬物を投与され……」
「てるわきゃねーでしょ!!」
ぺん、とかなめが宗介の額を軽くはたく。恭子はそれを微笑ましく見守りつつも、2時限目の教室へ移動しようと二人を促した。
「まぁまぁ、二人とも……。そのへんにして、早く音楽室いこうよ。うーっ、寒いから廊下出たくないのになぁ」
廊下へ出ると、恭子がいかにも寒そうに肩をちぢめた。抱えている教科書を抱きこんで、体温を逃さない姿勢をとる。
「しかたないのよキョーコ。わが陣代高校には、廊下にまで暖房をいれるようなお金はないんだから……。生徒会だって、そりゃあ爪に火をともすような活動を強いられているのよ」
「へぇ~、そうなんだ? 生徒会も大変なんだねえ」
「うむ。閣下の代になって大分余剰予算が生まれたとはいえ、依然予断を許さぬ状況だ」
「破壊工作で余剰予算を削りまくってくれてる張本人が、よく言うわ」
「生徒会といえば、カナちゃんと相良くんもそろそろ引退だね。今度の会長選挙が最後の大仕事って感じ?」
「うむ。閣下の後継者選出にあたり、厳重な警戒が必要になるだろう」
「そっかー。林水先輩たちも卒業だね。あたしたちも3年生か。相良くんはどうするの?」
「どうする、とは?」
「卒業したらどうするのかってこと。就職するとか、大学いくとか……」
「考えたこともなかった」
「えっほんと!? そろそろ考えなよ。今度就職ガイダンスあるって言ってたしさ」
「ふむ……」
「ガイダンスってあのお昼の後の? 誰がマジメに聞くってのよそんなもん」
「そりゃーカナちゃんみたいな頭いい人は悩まないだろうけどさ。その成績急上昇の秘密、おしえてよーカナちゃん!」
「んっふっふ……君には知る権利がないっ! なんちって」
「ちょっとカナちゃん! 親友でしょ、わたしたち!」

かなめと恭子の話が別の話題にうつっても、2時限目が始まっても。宗介はひとり考えていた。
『卒業したらどうするのか』
考えたこともなかった。
未来を想像する、という習慣自体、宗介にとっては馴染みの薄いものだった。はじめて具体的に考えたのは……たぶん、ついこの間の香港の一件の時だ。
元をただせば、陣代高校へ編入したこと自体、任務の一環だった。だから、本来ならばここでの成績や人間関係を気にする必要などなかったし、ましてその先の学力を求めようという発想自体、あるはずがなかった。継続的な配備が必要となる特殊な任務とはいえ、この東京も、今まで作戦で通り過ぎてきたシチリアや順安と同じくらい執着を持たない町で『あるはずだった』のだ。本来なら。
自らの意志で東京へ留まることを望んだ原因は、もちろん見当がついている。おぼろげだった心当たりが、先日のクリスマスの一件で、確信に変わったから。

端的にいうのなら、今斜め前方でだるそうに授業を聞いている少女、千鳥かなめだ。彼女が宗介の感覚やら常識やら感情やらを、すべて狂わせる。
宗介を叱責したり、激励したり、世話を焼いたり……ここまでストレートに関わってくる人間は、これまでいなかった。さらにいうなら、仲間から朴念仁の太鼓判を押されているこの自分に恋愛感情を抱かせるなど。ごく控えめに表現しても、晴天の霹靂だ。しかもそれが、同じ年頃の、まったく違う世界に住む少女だとは。
戦場で出会うならまだ分かる。順当にいえば、万が一そんな出会いが自分に巡ってくるとしたら、戦乱の中だっただろう。
そこまで考えて、はたと思う。戦場でもし出会ったとしたら、彼女はどんな人物だったのだろう?
信念に身を捧げる、勇敢な女兵士だろうか。それとも、同じ部隊に所属する傭兵仲間だろうか。はたまた、野戦病院で傷病兵を看病する衛生兵かもしれない。
「ソースケ、また戦場へ出るの……? そんな身体じゃ……!」
「止めるな千鳥、これが俺の仕事なのだ」
「それじゃ……せめて、せめて、死地へ赴く前にわたしと……!」
「千鳥……」
「……相良くん、相良くんてば!」
土煙けぶる戦場の妄想から、陣代高校音楽室へ引き戻したのは、いぶかしげな信二の声だった。
「……む。風間か、どうした」
「どうしたじゃないよ。さっきからプリント回してって言ってるじゃないか……」
「そうか。すまない」
「いいけど、どうかしたの相良くん? 『砂漠の夜は冷えるから暖め合おう』、とかなんとかブツブツ言ってたよけど……」
「そ、そんなことはない」
「あ、もしかしてASファン今月号に載ってたあの最新機種の話? 局地戦に強い機体って書いてあったもんね。僕が思うに、あれはさぁ、メルカバに変わる局地戦用としてイスラエルが……」
「う、うむ……」
信二の暴走に窮地を脱した宗介が、そっともう一度かなめを盗み見る。彼女はあいかわらず気だるそうにプリントを眺めていた。

「ううう、寒っ! もー、こんな時間までコキ使うんじゃないってのよねぇ」
「閣下としても最後の仕事だからな、力が入るのだろう」
「誰にせよ、林水先輩のあとじゃ大変よねー、いろいろと」
「うむ。閣下ほどの人物が運よく続くとは思えん」
「そうそうゴロゴロいてもらっちゃ困るわよ、あんなタヌキ……」
罪のない愚痴をこぼしながら、18時を回った商店街を歩く。1月も半ばを過ぎて、商店街はすでにバレンタインディのピーアール一色だ。ちらほら残っている『謹賀新年』だのと書いたポスターが笑いをさそう。グレゴリオ暦での正月という感覚はそもそも持ち合わせていなかったが、盆やクリスマス前とと同じ場所にある店が同じような手順で体裁を切り替えていくさまは、宗介に懐かしさを感じさせた。
不思議な気分だ。物であふれかえった平和な町で爆撃におびえることもなく、大切な少女と二人、堂々と歩いている。去年と同じように。これまでは、1ヶ月経てば地形すら変わっているような場所で、気がついたら新年だったという状況が当たり前だったのに。
「ソースケ? どうしたの? どっか寄るところある?」
宗介の歩みが遅くなっていることに気づいて、かなめが話しかけた。
「いや。どうも不思議な気がしてな」
「不思議って……なにが?」
「季節ごとにまったく同じような装飾が繰り返されることがだ。盆もクリスマスも、まったく同じ手順で告知が貼られて剥がされていた。しかる後に、次の行事の準備がなされているところまで、そっくり同じだ」
「そんなの、毎年の恒例行事じゃない」
「俺がこれまでいた地域では、新年の祝祭すらできないこともあった。半年前にあった町が、次の年にはなくなっていた、なんてことも珍しくなかったからな」
「そっか……」
感慨深げに商店街を見回す宗介を見ると、かなめは無性に切なくなった。何か声をかけたいけれど、『かわいそう』とか『大変だったね』とか、そんな言葉が意味をなすとは思えなかった。
「来年も……ここで『去年と同じだ』なんて、笑ってるわよ。きっと……」
それは、自分に言い聞かせたかった台詞だったのかもしれない。一年後も、東京でこの穏やかな日常が続いているように、と。共有することで、願いを現実に近づけたかった。
「そうだな……」
「そうだよ……」
少しの間、沈黙が降りる。触れ合う袖と袖が、妙にもどかしかった。
「君がそう言うのなら、そうなのだろう」
妙にきっぱりとそう言う宗介は、相変わらず無表情だった。笑っているようにも見えたし、どこか縋っているようにも見えた。
「なによ……それ……」
「いや。君が言う未来ならば、信用できる気がするのだ。あいにく根拠はないが」
「そっか……」
「そうだ」
いっそのこと、ほんの数センチ先にある細い指先を握ってみようか、と宗介は思う。そこには罠も障害もないのに。なぜこんなにも、ためらうのだろう。
「そうだよね。あたしたち、いつ、どこで出会っても、きっとこんなだったよね……」
不思議と確信に満ちた穏やかな笑顔で、かなめがぽつりと言った。

それは彼女以外の人間に見つけたことがない表情で。彼女の持つ呪いのごとき稀有な能力がそうさせるのか、それとも単に恋心というフィルターを通して見ているからそう見えるのかは、見当が付きかねた。
ただひとつ分かるのは、かなめの言葉は自分にとって、予言にも似た確信を与えるということだけだ。

彼女がそう言うのならば、本来起こりうる未来ですら道を曲げるのではないか。そう錯覚するほど、彼女は強い意志とその意思を貫き通す幸運な体質を持っているから。
言ってみれば、ただのカンだ。オカルトだとかスピリチュアルだとか、胡散臭い迷信を真に受ける心根は、あいにく持ち合わせていない。単純に自分が生き残るために頼みにしてきたカン、戦場で培ってきた鋭敏な五感が、彼女の周りにある特異な流れを嗅ぎ取っていた。それが未来や出会いをどうこうするような大きな流れなのかどうかは、分からない。
「そうだな、君が言うのなら、きっとそうだ」
「そーよっ! あんたみたいな歴史的バカ、どこにいたって目立つから、すぐ見つけられるわ!」
「そうしてもらえると、助かる」
意外な宗介の言葉に、かなめは思わず振り返る。彼はどこか切羽詰った顔をしていて、心細そうに見えた。
反射的に出そうになっていた、粗暴な言葉を飲み込む。どう声をかけるのが一番ふさわしいのかを、小難しい科学知識が詰まった頭は教えてはくれなかった。ようやく口にしたのは、驚くほど気の利かない言葉だった。
「ま、まぁそんな『もしも』の話してたって、はじまらないわよね。あたしとソースケはホラ、その、もう出会ってるわけだし」
「うむ」
「だから、現実から眼を背けずに、目先のテスト対策ばっちりするべきよね? 軍曹!」
「肯定だ」
「よっしゃ、じゃあ家に帰ったらさっそく漢文10本ノックよ! その前にカレーで腹ごしらえ! 異存はないわね!?」
「了解」
胸を張ってスーパーへ突入していくかなめの姿も、それを追いかける自分も。そっくり去年のままだと宗介は気づいた。

そして、願わくば来年も再来年もそうあるようにと、そっと見知らぬ何かに祈った。

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