「……あんたって、あんたって、あんたって……!!」
「……すまん千鳥。俺としたことが、つい我を忘れてしまった」
「なぁにが『つい』よっ!! あたしは何度も何度も何度も何度も『外れてるから、ちょっと待って』って言ったでしょーが!!」
「すまん……。だ、だが問題ない。ことが後先になっただけだ。幸い、俺には妻子を養うだけの稼ぎが……」
「そーゆー問題じゃなぁぁぁいい!!」
強襲揚陸潜水艦トゥアハー・デ・ダナンの乗員収容ポッドから、打撃音が響き渡る。潜水艦にとって静謐は命だ。航行中の騒音は、場合によっては致命傷になりかねない。が、幸い現在TDDは作戦行動中ではなかったし、さらにいうなら、安全で知られる日本領海を潜航中だった。
「だいたい、あんな短い時間にこんな場所で……サルかあんたはっ!」
「むぅ……。しかし、あのように中途半端な状態では引き下がれない。やむを得まい」
「やむを得なさいっ! そりゃ、連絡は突然だったかもしれないわ。けど! 送迎ヘリが来るまでに5分はあったでしょうが! すっぱり切り替えるのがプロってもんじゃないの!? え? プロフェッショナルの軍曹殿!?」
「千鳥、それは違う。俺はこの分野に関しては入隊直後の新兵同然だ。なにせ、まだ総計で8回しか……」
「ンなこといちいち数えるんじゃなーーーいっ!!」
掌底、肘鉄、怪鳥蹴り……数々の技をあざやかにくり出し、避けつつ、二人は器用に激昂と釈明をつづける。
「落ち着け千鳥。そ、そうだ、病院だ。このポッドが艦に収容されてから、まだ3分ほどしか経っていない。今から引き返せば、日本の病院の診療時間内に間に合うはずだ」
「病院~~? なによ、副作用たっぷりのモーニグアフターピルでも処方してもらえっての?」
「と、とにかく急ぐのだ。とりあえずこれを着ろ、千鳥! 着たら俺と一緒に病院へ……」
「っんなカッコで産婦人科へ行けるかぁあああっ!!」
女性の服装に関する知識など皆無の宗介がボストンバッグから取り出したのは、もっとも見なれたかなめの洋服、陣代高校の制服だった。
「そりゃ、ひどい目にあったもんだね」
『まったくです』とうなづきながら、かなめはペギー・ゴールドベリ大尉からコーヒーを受け取った。
頭蓋骨が変型するほど宗介を殴り倒した後に、かなめが向かったのは医務室だった。こんなことを相談するのは死ぬほど恥ずかしかったが、場合が場合であるし、軍医の機密厳守というふれこみを信用したのだ。結局、かなめの正確な身体のリズムと、現在かなめにあらわれている月経の徴候から妊娠の可能性は低いだろうと判断された。
宗介はといえば、コーヒーをすする二人のわきに築かれたパイプ椅子の山に埋もれていた。診察室から出てきた二人に向かって、『名付けには千鳥の父親か母親から字をとろうかと思うのだが、どうだろうか?』とたずね、二人がかりで生き埋めにされたのだ。がらがらと音を立てながら鉄の山からはい出してきた宗介に、ぺギーが諭すように言った。
「サガラ軍曹。野暮はいいたかないけど、相手の同意が得られないうちは、きちんと避妊しなさい。最低限のマナーだよ」
「肝に命じます」
至極真面目な顔で宗介が答える。と同時に、医務室のインターホンがコールを告げた。
『ゴールドベリ大尉、カナメさんがそこにいると聞きました。様子はどうですか?』
「大佐殿、千鳥にはまだ休養が必よ……」
「大丈夫よテッサ。すぐ行くわ」
まさか、こんな恥ずかしい理由で招聘されたテクニカル・ミーティングを欠席するわけにもいかない。かなめは手短に返事をして、インターホンのスイッチを切った。
「しかし……」
「平気だったら。あんたも訓練あるんでしょ。お互い早く終わらせてさっさと……帰ろ?」
照れ隠しに怒ったように見上げるかなめに、宗介が強く頷いた。医務室での別れ際、別方向へ向かうかなめに、くれぐれも大事にするように伝える。その後で、宗介はぺギーにもたまに様子を見てやってほしい、と頭を下げた。
「いやはや、青春だねぇ」
遠ざかる二つの背中を、軍医はしみじみと見送った。
「失礼します。大尉殿はいらっしゃいますか?」
そろそろ夜勤要員と交代しようと、引き継ぎをまとめていたぺギーのもとに、またも宗介が姿を見せた。すでに時刻は午後11時。この時間に演習があるとは聞いていない。宗介をざっと見た限りでは、特にこれといったケガもないようだ。だというのに、彼は渋面を作り、脂汗をかき、せわしなく視線を動かしている。
「今日はよく来るね。どうしたんだい? 軍曹」
「非常事態です……! その……厳重に保持すべき機密が含まれた非常事態が……」
宗介はきょろきょろと視線をさまよわせ、奥のベッドの気配を探っている。
「安心しなさい。今は私以外誰もいないよ」
呆れたように声をかける。どうせ、この無感情にすら見える少年をここまでうろたえさせる事態といったら―――
「その……千鳥のことなのですが……」
「だろうと思ったよ。どうしたんだい?」
水をむけられた宗介が、真っ青になって説明を始める。どうやら大変な恐慌状態にあるらしく、もともと多くはない語彙がうまくまとまらないようだった。
「その、出血が……! 自分は、出血を伴うのは初回時のみである、とウェーバー曹長から聞いていたのですが……! 話の通り2回目、3回目に出血がなかったばかりに、安心して……油断を……それが……今になって……! そうだ、輸血が必要になるかもしれません! い、いや、痛みがあるなら先にモルヒネを……」
焦りばかりが先に立って、物騒な方面へ妄想を爆走させる宗介をなんとかなだめる。まとまらない彼の話を総合する。どうやら、昼間『そろそろ始まる頃だから、大丈夫だと思うんだけど』と言っていたかなめの言葉通り、来るべきものが『来た』らしい。噛み砕いて説明してやると、宗介は驚きながらも納得したようだった。
「それにしても、なんだって軍曹がここに? 本人は?」
「千鳥は就寝中です。起きないものですから、自分が清拭したのです。その時出血に気づきました」
宗介は悪びれもせず、業務口調のまま報告する。
「軍曹あんた、ついさっきあんなことがあったばかりだろ。反省してないのかい?」
「否定です。先ほどの教訓をいかし、挿入なしの行為を千鳥に要請し……うぐっ!」
こめかみをひくつかせながら、ぺギーは宗介にオキシフルをぶっかけた。
「まったく、惚れた弱みにつけこんで! 日本の女の子は流されやすいっていうからねぇ……」
眼球をおさえてのけぞっている宗介に、無造作にタオルを投げてやると、大きなため息をつく。
「しっかし、そんなことも分からんで……。順番があべこべだよ、軍曹。自転車に乗れないヤツが、アーム・スレイブ乗りまわすようなもんだ」
「はっ、申し訳ありません。精進します、大尉殿」
「あたしはいいから、カナメのためにそうしてやんな」
薬棚から出した紙袋を宗介に投げ付ける。
「ほら、持って行っておやり。それから、少なくともあと3日はガマンしなさい」
ぺギーは再び引き継ぎ報告書の作成にもどった。
「残念だけど、バカにつける薬はないよ」
それから、紙袋の中身を不審がって開けようとする宗介に、マーキュロクロム液のつぶてをお見舞いした。
「もう10分ほどでヘリの準備が整いますから。カナメさん、引き止めてしまってすいませんでした」
「いーってことよ。おかげで、グアムで買い物もできちゃったし!」
かなめが指差す先には、ブランド物のバッグやら化粧品やらをこれでもかというほど抱えた宗介がいた。
「うむ……。手痛い出費だった」
「なに言ってんの! 格安よ!」
『反省の証拠』として宗介が提出したそれは、言うまでもなく彼の財布から支出されていた。
「あー、いたいた。ほら、軍曹!」
珍しくヘリポートに姿をあらわしたぺギーが、宗介に何かを投げ付けた。
「どこぞの曹長殿が最近よく持ってくから、裸のままで悪いけどね。ないよりゃマシだ。持っていきなさい」
「ん? なになに?」
かなめとテッサが、宗介の手のひらへと身を乗り出す。手のひらに収まっていたものを目にすると、二人はまったく同じタイミングで固まった。
「助かります。近々、また貰いに行こうと思っていたところでした」
「ケチくさいこと言うんじゃないよ。次からは自分で買いな」
「そう思うのですが、自分は売っている場所を知りません」
「ドラッグストアかスーパーマーケットでも行きな。よりどりみどりだよ」
「感謝します」
「『また』貰いに行こうと思っていた……?」
いち早く呪縛から抜け出したかなめが、ぎぎぎ、と音を立てて首を宗介へ向けた。目は据わり、頬はひくついている。口元は、かすかに笑顔の形を作ってはいるが、固まったままだ。
「隊の備品を勝手に持ち出すわけにはいかない。許可を貰い、管理簿へ使用した旨を報告するのが筋というものだ」
「ええ、ええ……おかしいと思ってたわよ。ついこの間まで『水筒』だとか言ってたあんたが、『間断なく』ンなもんを持ち続けてるなんて……」
「うむ。必要物資の管理も戦略のうちだ。ぬかりはない」
言うが早いか、かなめは飛翔した。どこか誇らしげに胸をはる宗介に、あざやかなハイ・キックを叩き込む。
「いっぺん、死んでこーーーい!!」
「ええ!? ない!? なんで!?」
「悪いんだけどね。上からの命令で、置かないことになったのさ」
「そ、そんなぁー! せっかく今夜はオフがかぶったってのに……」
「『入隊したて』の18歳だって自分で買ってるんだ。男だったら、自腹で買いな」
「そりゃ、ここが陸の上ならダッシュでコンビニいくぜ? けど、ここは海ン中じゃねぇか! 勘弁してくれよ……」
「まったく、ウチの男連中は……。ドンパチやってる時はあんなに頼もしいのにねぇ」
備品の管理簿にならぶ名前をシャーペンで小突きながら、ペギーがうんざりとため息をついた。