3.砂の城

「相変わらずお忙しそうですのね」

紅茶をひと口啜ると、執務机に山積みになっている書類を眺める。実務重視の、どちかといえば男性的な執務室にラクスが居るさまは、どこか非現実的だ。まるで、サッカー・コートにバレリーナが迷い込んだみたいに。
「戦後すぐのころと比べれば、だいぶ楽になったさ」
あの頃は思い出したくないな、とカガリが軽い冗談を飛ばせば、ラクスはころころと楽しそうに笑う。話している内容はとにかく、向かい合って笑う二人は、どこにでもいる十代の女の子だ。

「急に予定を入れてしまって、ごめんなさいね。無理やりアポイントメントを入れていただいたものですから、遅くまで引き止めてしまって……」
「どうせ明日は休日だ。構わないさ。ラクスも忙しい時なのに、来てくれてうれしいよ」
プラントからの招きを受けて、ラクスは近く宇宙に上がることになっていた。ほとんど身ひとつでオーブに亡命したとはいえ、2年間過ごすと案外荷物が多くてまとまらない、とキラが電話でぼやいていたのを思い出す。

「キラのこと、ありがとうございます。私もプラントは久しぶりですから、心強いですわ」
「本当は一緒に出発できればいいんだけどな。名目上、入学前に行かせるわけにはいかなくてさ」
ラクスのプラント行きにあわせて、キラはオーブからプラントのアカデミーへ『出向留学』することになっていた。
准将という役職上、容易に退役することはできなかったし、なによりキラ本人がプラントに籍を置くことに抵抗があった。『出向留学』という名目は、オーブに籍を置きつつプラントへ上がれるように、弟のため姉が用意した苦肉の策だった。
「でも、よろしいんですの? 軍のほうのお仕事は……」
「心配するな。どうせキラは軍向きじゃないし。…………もともと、学生だったんだからさ」

『戦争さえなければ』
カガリの言葉の続きを、ラクスは無言のうちに読み取った。
ラクス自身の人生も、周りの人間の人生も、それによって大きく変わったことを漠然と確かめる。二度と会えない人たち。そして、出会ったかけがえのない人たち。

「昨夜から、アスランが来ていますわ」

刹那、カップを口に運ぼうとしてたカガリの手が止まる。
けれど一瞬後、何事もなかったようにひと口だけ飲みくだした。

「そうか」

オーブ軍所属アスラン・ザラ一佐は、メサイア略後、世界各地を回る復興支援部隊に身を置いていた。
何かせずにはいられない生来の性分と、世界を知らねばという青年らしい気負いが彼をそうさせたのだろう。異動申請書を目にした時、カガリはアスランのアスランらしさに思わず笑ったものだった。

「お会いになりませんの?」
「……報告書は届いている。会って話すまでもないさ」

話の核心をはぐらかすカガリを、ラクスは痛々しいと思う。思えば、戦渦の中にいた時が、二人が一番近くにいられた時間だった。平和が戻れば遠くなる。どこかで大儀を通そうとすれば、誰かが悲鳴をあげる。皮肉なものだ。

「もちろんお国も大切でしょうけれど。そろそろ、ご自身の幸せを願ってもよいのではありませんか?」
いつものふんわりとしたラクスとは違う、鋭く問いかける視線。浮世離れしているようでいて、いつの間にか懐深くに切り込んでくる。けれど、次の瞬間またやさしく微笑む。この絶妙な緩急こそが、彼女が『救国の歌姫』と呼ばれる由縁だろう。
「私はいいんだ。オーブのみんなが幸せに笑っていられるのなら。……自分のことはその後だ」
迷いなく笑うカガリの笑い方を、ラクスはどこかで見たことがあった。ラクスが運命に出会う前。婚約者として会うアスランは、いつもこの顔で笑っていた気がする。他人事の笑顔。無関心だけれど、とりあえず作る笑顔。
無意識のうちに作り笑いが似るくらい、アスランとカガリはそばにいたのに。
それがラクスを一層苦しくさせる。
「では私は、プラントから招かれずともこの国をお暇せねばなりませんでしたわね」
大仰に頬に手を当てて困り顔を作る。
「ラクス?」
ラクスの唐突な物言いに、カガリは面食らう。
「残念ですわ。気候も、人々も、とても気に入っておりましたのに」
夜の始めの風が窓から吹き込む。ふわりと揺れるラクスの長い髪は、遠い預言者を思わせた。
「だって。幸せでない方が想像で作った『幸せの国』では、民は幸せになれませんもの」
それだけ言うと、ラクスは脇によせていたカーディガンを羽織る。帰り支度をはじめたラクスに、カガリは言葉をかけられずにいる。ラクスはもう一度コケティッシュに微笑む。
「今夜、子どもたちが私のお別れパーティを開いてくださいますの。ぜひ来てくださいましね。私に会いに」

客が帰る気配を察してシンは席を立った。食わせ者の妖精を見送るために。

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