閑話 歯車

斬り斬り斬り斬り 発条を巻けば
狂る狂る狂る狂る 歯車がまわる

手持ち無沙汰だった。
連れて来てくれた父親は『用事があるから少し遊んでいなさい』と部屋に篭ったままだし、『きっと仲良くなれる』と聞いていた、待っているはずの友達にも会えないままだ。
父親が仕事先に連れて行ってくれることなんて滅多になかったから、喜び勇んでついてきたのに。とんだ肩透かしだ。江戸に移ってきてばかりで、父親に剣術を習うしか楽しみがなかったから、大層楽しみにしていたというのに。
だから、眺めていた。
風見のために軒先に取り付けられた赤い風車。
風が強いわけではなかったが、少しの風を感知して、それは健気に回り続けていた。

「ちょっと出ただけのようだから、もうすぐ帰ってくるだろう。待っていてくれるかい?」
尋ねた先で中年の男が言った。おそらく、そのあたらしい友達の父親なのだろう。眼鏡の奥の目がとても優しい。誰にでも分け隔てなく接する人なのだろうな、と聡い子供心が感じ取る。
「どうもあの子は、姉に執心し過ぎのきらいがあってな。まだ赤ん坊の頃に母親が死んで、あの子の世話を娘に任せきりだった私がいけないのだろうが……」
会うはずだった男の子は、許婚を亡くしたお姉さんを心配して、後をついて回っているとその父親は話した。
やさしい子なんだな、と思う。そんなに優しい子となら仲良くなれそう。
だから待っていた。けれど、半刻経っても一刻経ってもその子は帰ってこない。いい加減風車を眺め続けるのも飽きてきた。
少女はひとつ伸びをすると、飛び跳ねるようにして表通りに躍り出た。
そこは本郷の町からそう遠くはない町だった。それでも、彼女の幼さが、まるで外国を歩いているような気分にさせた。

風のにおいも空の色も、普段とは違って見えた。ちょっとした冒険中だからかもしれない。
うっかり父の居る家の場所を見失わないように、時折振り返って道を確認する。母親の病が篤くなって以来、父が彼女に向ける心配が増したのを知っているから。
けれど、押さえ切れない好奇心が、少女を少しずつ少しずつ大通りへ近づけていく。大通りへ出たところで、さてどちらへ行くべきか、と左右をきょろきょろと見回した。
と、吸い寄せられるように一人の人間に目が行った。どこにでもいる、若い女性だ。けれどなぜか、目を逸らせない。
白い小袖、紫の肩かけ、漆黒の瞳。
墓参りにでも行くのだろう、白菊の包みを両手で大事そうに抱えている。
美しい女性だった。けれど、『美しい』という理由だけで目が離せないわけではなかった。目を凝らして見ていないと消えてしまいそうな。そんな危うい儚さが、少女の目を彼女へ釘付けにしていた。
女性は少女の視線に気づくはずもなく、乱れひとつない足取りで通り過ぎて行った。その後姿に、少女はなぜか不吉さを感じ取る。
生きようとしていない。そう見えた。
気のせいだろう。そう思い込もうとして少女は視線を移す。すると、少年が一人物陰に隠れるようにしてこちらへ向かってきた。否、視線の先を見る限り、少年は少女のもとに向かってきたわけではなく、先ほどの女性を追っているようだった。女性と縁のある者なのだろう。真っ黒な長い前髪で覆われて目は見えないものの、鼻とくちびるの形がよく似ている。
「ねぇ」
「……なんだお前は?」
身を隠している防火桶の陰に、小さな闖入者。ちょこんとしゃがんで見上げる少女を、少年は鬱陶しそうに見下ろす。
「あのお姉ちゃん、知ってるの?」
「今忙しい。話しかけるな」
付き合っていられない、とばかりに少年は立ち上がる。苛立つ少年の袖を、少女が押さえた。離せ、と言うつもりで勢いづいた少年を、少女の言葉が制止する。
「あのお姉ちゃんから決して目を離さないであげて。誰かが見ててあげないと消えちゃいそうだから」
「……ヘンなやつだな。お前なんかに心配されなくてもそうする」
「絶対よ」
ぶっきらぼうに返事をすると、少年は駆け出して行った。風に揺れる少年の漆黒の髪が、やけに印象的だった。


「結局会えずじまいか。すまないな、一人で待たせてしまって。つまらなかっただろう?」
「へいき。でも珍しいね、父さまが男の子の友達を紹介してくれるなんて。いつも『男の子と剣術ばかりしていないで女らしくしなさい』って言うのに」
「……ああ。彼は特別だから。行儀見習いに遣る前に、会わせておきたかったんだが……」
「特別?」
「あの子は、お前の友達になるわけでは、ないんだよ」

狂る狂る狂る狂る
まわるまわるよ
運命の輪が

まわしはじめたのは、だれ?

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