「戻らん? おまさんとこの緋村がかや?」
「ああ。いつもの通り、幾松のところへ居る間待たせていたら、そのまま……」
声をひそめて話す桂に、坂本は思わず聞き返した。慌てて語尾を小さくしたのは、本来なら藩内で片付けるべき問題を、わざわざ坂本に持ちかけたことを慮ったからだ。体調が思わしくなかった高杉が京都を去った今、桂が本心から相談ごとを持ちかけられる人物は、至極限られている。
「そら困ったのお。おまさんは人を斬るわけにはいかんきに」
「ああ。人斬りはいくらも居れど、口の堅い、信用できる人斬りは限られているからな。何か情報を持っていないか?」
「いんや。初耳じゃね。人斬り抜刀斎ってくらいじゃき、怨みを持つ誰かに斬られゆうが?」
「いや。彼の顔を知る人間はほとんどいない。それに、緋村はそうやすやすと斬られるような男ではない」
そう言って、桂はふと思い出した。剣心は、ここひと月余り、一人も人を斬っていない。それが彼の人斬りとしての鋭敏で繊細な感覚を鈍らせていたとしたら。
「心当たりはあるがかや?」
一瞬、桂は言うかどうかを迷う。桂が思い描いた背景図は、あまりに荒唐無稽だったから。それでも、思い直して坂本に話すことに決めた。破天荒な人生を歩むこの男なら、桂の描いた絵に色をつけてくれるかもしれない。
「心当たりというのかどうか……。同じ日に、緋村の遊び相手だった禿がひとり消えた。だが、女将を問い詰めても、『行儀見習いが終わって引き上げた』としか言わん」
「長州の桂が問い詰めちゅうきに。めっそに気の座っちゅう女将やのう」
「花街でのこと、こちらもいろいろと尻尾を握られている。それに、その娘は葵屋の口利きという話だ。迂闊に踏み入っては、こちらが危ない」
「ははぁ……。そら、危ない娘さんじゃの。緋村がその娘さんとええ仲じゃったということは考えられんかや?」
「まさか。彼女は子どもだし、緋村は女をなるたけ遠ざけたがる男だ。……事情があってな。子どもは好きなようだから、遊び相手にでもなってやってたんだろう。そう思って、私もあの娘と緋村を引き合わせたんだ。少しは気が紛れれば、とね」
「いやぁ、分からんぜよ。木乃伊とりが木乃伊になるっちゅう話もあるき。今は子どもでも、その娘っこも、もう何年か経てば立派な女子ぞね。だいたい、子どもっちゅうたら、緋村もたいがい子どもじゃけんのぅ」
冗談のようでもあり、真剣なようでもある坂本の助言に、桂は隠しもしない溜め息をついた。剣心ひとりに時間と手間を割いていられるような余裕は、あいにく桂本人も桂を取り巻く状況も持ち合わせていない。
「追々、緋村は探す。生きていれば自分から連絡を取ろうとするだろう」
「そうじゃね。そうするしか今は手がないき。おまさんが薩摩やら土佐やらの人間を疑い始めよったら、せっかくまとまった薩長の仲がまた不味くなってしまわあよ」
口調は柔らかかったが、坂本の目は鋭かった。禁門の変以降敵対していた両藩が、ようやく表面だけでも和解した今、先頭に立つ桂が薩摩を疑ってかかっては、示しがつかない。
坂本の言葉に、桂は二度目の溜め息をついた。
「分かっている。それに、よい報せもひとつある」
「なんぜよ?」
「ようやく生きている人間に会えるようになった」
「ははあ。例の、おまさんに取り憑いとった姿のない人斬りというやつじゃね。憑きもんが落ちたがか」
小糠雨が降りしきる窓を見て、桂は三度目の溜め息をついた。
先ほど坂本に言った、馬鹿馬鹿しい絵空事を思い描いてみる。幼い二人が、手に手を取って旅路を歩く姿だ。そこには、笑顔があるかもしれない。知る者の少ない二人だ。身分はいくらだって偽れる。幼い兄妹になりすませば、街にだって里山にだって馴染めるだろう。剣心の能力を持ってすれば、ささやかな生活を送ることくらいはできるはずだ。そのうち、娘は美しく成長する。やがて二人は夫婦になる。子をもうけ、老いていく。
そこまで想像して、桂は気づく。なぜだか、どう想像をめぐらせても、二人の成長した姿を思い描くことができなかった。
申し合わせるでもなく北へ向かったのは、すこしでも陽の光から遠ざかろうとしたからかもしれないし、剣心も薫も海を見たことがないからだったのかもしれない。
剣心も薫も、京の街に知り合いはほとんど居ない。街を出る二人を見咎める人間は、誰一人としていなかった。たまたま方向を共にした旅人は、不憫な兄妹と思い込んで、二人の世話を焼いてくれさえした。
「窓の外ばかり見ているんだな」
日が暮れてから着いた木賃宿は、昼前から降り出した雨で、暗くじっとりと湿っていた。部屋には二人だけしかいない。「この時期に大部屋が貸し切りとは珍しい」とぼやきながら案内してくれた飯炊きの女中も、頼まれた夕飯を二人に出すと、急ぎ足で去っていった。
「明日も……雨かな……」
「どうだろうな。この時期、あまり長雨にはならないと思うが」
「そっか」
「それに、雨のほうが都合がいい。雨は足跡を消してくれる」
「うん」
頷いてかすかに笑った後も、薫は雨の夜を見つめ続けていた。遅い夕飯にはほとんど口をつけていない。
「京は……どっちだっけ……?」
「ここよりもう少し南だ。自分の来た方向を忘れたのか?」
「……みなみ、か。そうだよね。ごめん、変なこと聞いて」
「疲れただろう。もう寝よう」
「うん」
『帰りたいのか』とは聞かない。否定も肯定もしきれないことを、剣心は知っている。
けれど、今の薫が抱えている喪失は、残してきた街への郷愁ではなくて。もっと別の、深い闇につながっている気がした。
不吉な胸騒ぎは、声に出したら現実になってしまいそうだったから。尋ねることはしなかったけれど。
薫を抱え込むようにしてついた剣心の眠りは、それでもなお深かった。
「たかが子ども二人、京の街から消えたところで……か……」
ほんの数日前に自分が言った台詞を、翁は冷めた表情で繰り返した。
痕跡を残さないように、少女には名前を名乗らせなかった。それが仇になった。誰も少女を覚えていない。おぼろげに覚えている者も、どこの店の者だったか、年恰好はどうだったかと問われれば、みな一様に首をかしげた。
「あいつは、死んだのか?」
呼び出された部屋の隅に座っていた縁が、胡乱な目をして翁を睨みつけた。隠しもしない苛立ちと悲憤は、少年から底のない禍々しさを引きずり出す。
「分からん。お前が見つけた抜刀斎に斬られたのか、もしくは相打ちにでもなったか……」
「抜刀斎はまだ死んでいない」
「なぜそう思う?」
「姉さんがそう言っている」
狂言ではないようだった。たとえ狂言や世迷言だったとしても。どれほど言葉を尽くしたところで、縁を教え諭せるとは思えなかった。
許婚を殺された姉は、復讐するはずの人斬りを愛した。復讐者を愛した人斬りは、同じ血の奈落を流離う少女を求めた。名前のない少女は、復讐の狂気に身をゆだねる少年のため人斬りを斬ると言った。そして少年は、少女が与えてくれるはずだった戻る場所を失った。胸の悪くなる因果だ。
「もう少し待ってみるとしよう。あの娘が戻らんと、お前の身の振り方も決まらぬしな」
「分かっている。抜刀斎さえ死ねば、俺は江戸に戻って、何食わぬ顔で他家の跡継ぎにでもなんにでもなってやる」
縁が言っているのは、どこにでもある武家同士の話だ。いかにして家名を存続させるか。ただその一点に重きをおいた、滑稽な定めだ。中身がそっくり取り変わっていると言うのに、入れ物の名前だけを受け継ぐ意味がどこにあるというのだろう。過ぎた現実主義が、守るべき制度のくだらなさを翁に指し示す。
「そんな時代が続けばな」
子どもたちを喰らい合わせる時代ならば、終わったほうがいい。あとは、どう綺麗に終わらせるかだ。
口にできない願いと、矛盾した自分の行動を思って、翁は目を閉じた。
「このぶんなら、あと二、三日もすれば海に出られるな」
雨上がりの泥をよけながら、剣心が薫の手を引いた。物珍しそうに商店や通りを見回す薫は、目を離したらすぐにはぐれてしまいそうだ。
「海って、水が塩っ辛いんでしょ? 川の水は海に流れるのに、どうして海だけが塩っ辛いのかしら?」
「さあ……どうしてだろう。海の近くの人なら、知っているかもしれない」
「それに、海では身体がぷかぷか浮くって聞いたわよ。どんな感じなのかな?」
「この時期、水に入ったら風邪を引くだろう。夏になったら試してごらん」
「……うん」
「もうじき一里塚が見える。そうしたら、少し休もう」
先を歩く剣心の手に導かれるまま、薫も歩き始める。街道に咲く花は、昨夜の慈雨にみずみずしく潤っていた。
夏。それはいつの夏のことを言っているのだろう。
二人このまま世界の片隅で、時代の移り変わりなんて関係なく生きていく。人々の悲鳴にも、探している人間の声にも耳をふさいで。そんなことが、果たして本当にできるのだろうか。剣心に。
剣心と過ごす夏を思い描いてみる。不思議なことに、そこには手足が伸びきった自分の姿しか思い描けなかった。
「今日は、日が暮れる前に宿を取ろう。急ぐ旅じゃない」
差し出された水筒に口をつけながら、薫が頷く。心なしか、剣心の笑顔は、京の街で見ていたそれよりも幼く見えた。
剣心の年齢は聞いていないが、おそらくは薫と十かそこらしか違わないだろう。それでも、彼は大きな悲しみを抱えて生きていた。
人を守るために人を斬るという矛盾。守るべきものの姿を教えてくれた人さえ、その手にかけた罪業。そこには私怨も私欲もなかった。けれどそれは、まだ二十年も生きていない少年には、酷過ぎる心懊のはずだ。道中、剣心が語った言葉は少なかったけれど。薫は子ども心にそう思った。 なぜ、こんなにも不安定で未完成な少年が、こんなにも大きな矛盾と悲しみを抱えなければならないのだろう。
「そろそろ、行こうか……」
立ち上がった剣心が差し伸べた手は、大きくてあたたかかったから。重ねた手に引かれて薫は歩き出す。ひどく、穏やかな気分だった。
「剣心は、何も聞かないね」
「え?」
「わたしのこと」
見上げている大きな瞳の奥行きに、底は見えなかった。困ったように、剣心は微笑む。
「言いたくないことは、言わなくていい」
それはたぶん、剣心の本心だ。きっと彼が望んでいるのは、そういうやさしい世界なのだ。そう薫は思う。そんな場所から、一番遠い場所にいる今でさえ。
物心ついた時から、母は臥せっていることが多かった。優しく美しく聡明な人だったけれど、どこか儚い人だった。父は、そんな母と薫を惜しみなく愛してくれた。
時代は揺れ動いた。剣術に志を持っていた父は、母の療養をかねて、江戸の陸軍所の教授職へ志願した。連れて行けと駄々をこねる娘を、渋りながらも父は選考会へ同行させた。もともと、剣術を娘に教えたのは父だったから。
成績は上々だった。だが、朴訥とした性分だった父は、勝つべき試合と負けるべき試合があることにまでは気が回らなかった。あるいは、剣術への真面目すぎる姿勢が、父をそうさせたのかもしれない。
ひずみは娘に及んだ。幾人かの旗本の息子たちは、勝つべきであった自分の父親や兄が負けたことを、侮辱と受け取った。嫉みに駆られた少年たちは、得意満面になっていた勝者の娘を物陰で取り囲んだ。
ただの脅しだったのかもしれない。少女が泣き叫んで許しを乞いさえすれば、おそらく彼らはそれで気が済んだのだろう。けれど、少女は泣きもせず、叫びもしなかった。
恐怖にかられ、恐慌状態に陥った少女の脳は、ひどく冷えた。
自分ひとりが時間の流れのゆったりとした場所に放りこまれたみたいに、少年たちの動きがやたらと緩慢に見えた。息づかいのひとつひとつや、次に動く骨の軋みが聞こえるくらいに、耳は音を拾い集めた。舞い散る血のひと粒ひと粒までを目が捉えた。まるで星でも埋め込まれて光っているかのように、少年たちの筋と筋の隙間、骨のつなぎ目、血流のよどみが見えた。
『殺される』。そう思った少女は、知らぬ間に少年のうちの一人の腰から刀を抜き去り、順に少年たちの身体に浮かびあがっていた星を突いては薙いでいった。気がつけば、少女以外に動く人間は誰も居なくなっていた。
血溜まりのなか、自らの命を絶とうとした少女から刃を取り上げたのは、王城を影から守る役目を負っていた少年だった。無惨に広がる血の海の中心にあって、少女はその着衣にひとつの血痕もつけてはいなかった。そんな少女に、彼は取り引きを持ちかけた。
それからほどなくして、少女は名前を剥ぎ取られ、京の街に現れた。
斬るたびに、あのすべてが静止した場所へたどり着く。そしてその後、決まって何もかもが曖昧になった。
斬ると、ひどい眩暈と吐き気がした。船酔いでもしているみたいに。はじめは、ただ酒に酔っているのだと思った。斬った男たちの傍らには、かならず酒瓶が転がっていたから。
酒酔いではないと気づいたのは、味を失ってからだ。何を食べても、何を飲んでも、血の味しかしなくなった。それから、色が消えた。澄んだ青空の下、世界が白と黒に見えることが増えた。
そんなことが続いた後、少しずつ自分のことを忘れていっていることに気づいた。父の顔、母の顔、ここへ来た意味、人を斬る理由、自分の名前。
斬るたびに、自分のいる場所がうすぼんやりとしていく。自分が誰なのか分からなくなる。
斬る前に何もかもを忘れるようにかける自己暗示と、斬っているときに放り込まれる、時間を圧縮したようなあの空間に原因があるだろうことは、おぼろげに察しがついた。けれど、斬るためにはそのふたつが必要だったし、生きるためには斬るしかなかった。
なにもかも。自分のことすら忘れて死んでいくのが、与えられた罰なのだ。そう思った。
自分すら失っても忘れたくないものを手に入れてしまったのは、そんなときだった。 なのになお、忘れていこうとする自分が許せなくて。周りの大人がしていたように、肌で確かめようとした。剣心は薫よりずっと大人だったけれど。むき出しの性器だけは、薫と同じように無防備だったから。
たとえ自分すら消えてしまっても。この身を焼き尽くした後に剣心への想いだけが溶け残っていれば、それでいいと思えた。
薫が語り終えた頃、次の一里塚が見えてきた。足を止めずに歩き去ろうとする薫の頭に、剣心はそっと手のひらを乗せた。
「もういい……。もう、いいんだ」
見上げた薫は、泣いていなかった。剣心ならそうすると、そう言うと、最初から分かっていた。
だから、やはり今持っている以上の名前は名乗らなかった。剣心との生活にそれ以上の名は必要なかったし、剣心は聞こうとしないだろうから。
「剣心は……」
「ん?」
「剣心は、どうして本当の名前を名乗ったの?」
「薫……」
「妻にすら名乗ったことがなかった名前を、どうしてわたしに名乗ったの?」
薫の疑問はもっともだった。たとえ幼い子どもとはいえ、ほとんど初対面の人間に本名を名乗るなど、闇剣を振るう人間としては考えられないことだ。
理由は剣心自身も分からなかった。けれどなぜか切実に、剣心は薫に自分を知ってほしかった。薫の中に留まりたいと、自分でも知らぬうちに強く願っていた。
今にして思えば、煙のように消えてしまいそうな薫に、錘を持たせたかったのかもしれない。何もかも捨て去ろうとしていた薫を繋ぎとめる錨のように。
「そうしたかったから……かな……」
うまく言葉にできない感情を、剣心は簡潔な言葉にした。居心地の悪そうな剣心の態度は、それが等身大の真実だと薫に教えてくれる。
「そっか」
繋いだ剣心の手を、薫はきゅっと握り締める。きっとこのあたたかさは、手を離した後でも、ずっと覚えていられる。それなら、大丈夫だ。
どこか知らない場所から沸いた、得体の知れない確信が、ひたひたと薫を満たした。
「今日一日で、だいぶ距離を稼いだな。疲れただろう?」
旅籠の風呂から上がった剣心を迎えた薫は、昨夜と同じように窓の外を見ていた。『誰も追って来てない』とだけ剣心に告げると、薫は障子で窓をふさいだ。
「剣心のほうが疲れたんじゃない? 刀差して歩いてたんじゃ……。肩叩いてあげようか?」
軽く拳を作る薫に、剣心が苦笑する。
「薫とは力の強さが違うよ。それに、もう何年も刀を差して生活するのが当たり前だから、この重さには慣れている」
「ふぅん」
つまらなそうに握った拳をひらいたり閉じたりしている薫を見下ろす。思えばこの娘は、刀を差すことすら許されてはいないのだ。武士ではない薫は、刀を預かることすらできずに、ただその刃を肉に埋もれさせていくしかない。刃を得る代償として、文字通り身を切るように自分を差し出しながら。
不幸せな想像をしそうになる自分を止める。口をとがらせて見上げている薫に、剣心は布団に入るよう伝える。呼びかけに応えて歩み寄った薫は、布団に座りこむと、じっと剣心を見つめた。
「どうかしたか?」
物言わぬまま無遠慮に向けられ続ける視線に、剣心が苦笑いでたずねる。さらに数秒の間剣心を見上げた後で、薫が膝前に小さな手を重ねて、深々と頭を下げた。
「薫? どうした?」
「わたしを、剣心のお嫁さんにして」
そう言った薫の目は、底のない透明さを湛えていた。底に揺れている表情は、微笑んでいるようにも見えたし、怯えているようにも見えた。
「薫が大きくなって、それでもまだ、俺にそう言ってくれるならね」
ぽんぽんと、畳に向けられたままの薫の頭を撫でる。幼い冗談で済ませようとするのは、卑怯だと分かっていても。
「今。今がいい」
薫は小さく首を振った。切羽詰ったその声は、彼女の決意が本気だということを雄弁に物語る。
「薫……?」
「剣心は、本当のことを話してくれたから」
顔を上げた薫の、泣き出しそうに縋る目が、剣心の網膜に焼きついた。そこには、幼いながらも、かつての妻が見せたのと同じ女の炎があった。
「わたしを、本当のお嫁さんにして」
すべてを見通すようなその光が、剣心から思考を奪う。世間体だとか良識だとか年齢だとか。余計な飾りが、鍍金がはがれるように綺麗に剥ぎ取られる。頭の上に置いていた指が、勝手に薫の頬へと滑り下りた。
「後悔しないな?」
「しないわ。決して」
もう何度目かのくちづけは、楔のようにふたりの間に浸み渡った。強張った顔で見上げる薫は、好奇心に裏打ちされた、挑みかかってくるような目を向けていた。衒いのない表情は、彼女の無知を剣心に伝える。
「……薫、どんなことするか、知ってるのか?」
困ったように剣心が尋ねる。どんな決意が背後にあったところで、それと身体の問題は別の話だ。
「ええと……一緒のお布団で、裸になって寝るんじゃないの?」
「……そうか」
花街で遊女たちに避けられていた弊害が、こんなところで出ようとは。剣心はほっとしたような残念なような、複雑な気持ちになった。
「よく知らないけど……。剣心と一緒なら、なんだって大丈夫だよ」
「怖いことや、痛いことがあっても?」
「うん」
「そうか」
絶対の信頼が、少し心に痛い。けれど、大人の嘘で曖昧にごまかすことを、薫は望んでいないと知っているから。
「それじゃ……服を脱いで」
「うん」
剣心の言葉に従って、薫が素直に帯を解いた。するりと落ちた寝巻きから生まれた裸体は、女へと変化する入り口に立ったばかりのように見える。通過点のほんの一瞬を切り取ったに過ぎない不安定さが、ひどく儚く見えた。今日しか見られない、明日にはもう次の段階へ進んでいる、そんな類の刹那的な美しさだ。
「すこし……恥ずかしい……」
「同じだから……」
同じように、剣心も服を脱ぐ。男として、決して大柄とは言えない体躯だけれど。それでも、引き締まった腹や筋ばった腕は、薫のそれとは比べようもなく固まっている。
「薫……」
立ったままでいた薫の前に跪いて、剣心は薫の首筋にくちびるを寄せる。甘い体臭は、どこか眠気を起こさせる懐かしさを感じさせた。
「ん……」
くちびるの端をゆがめて、薫が小さく息を吐いた。ぶるりと震えるその仕草に、剣心は安心する。
「不安なら……俺の肩に手をついて」
胸元を舐め回されるくすぐったさと、それが呼び起こすむずむずとした感覚に、薫が戸惑っているのが分かる。今にもくず折れそうになる身体を、薫は剣心の肩で支えた。
「あ……なんだか……」
説明できない感触に、薫は身をよじる。伺うようにそっと、剣心が薫の乳頭を口に含んだ。
「ぅ……うん……」
剣心の肩を掴む薫の手に力がこもる。剣心はぷっくりと立ち上がった薫の乳頭を丁寧に舌で転がしながら、もう片方の乳頭を指ですりあげた。
「あ……あ……く……」
「痛いか?」
「ぅうん……なんか……身体の奥が……ざわざわする……」
「ん……」
ほとんど上半身を剣心にもたれるようにして、薫は辛うじて立っている。中腰になったことで開いた腿の間に、剣心がそっと指を忍ばせた。
「わっ……」
そこはしっとりとぬるんでいた。指先で感じるだけでも、薫の性器の幼さが分かる。陰唇は温かく湿っていたけれど、ひだは固く内側へ向いて、侵入者を拒んでいる。探しあてた小さな突起を、親指でつついてみる。つるりとした粘液が、少しずつ膣から染み出したのが指先に感じられた。
「ひや……けんしん……も……立ってるの……だめ……」
膝をつきそうになる薫をすくい上げると、剣心は布団に横たえる。覆いかぶさってくちづけると、大分力の緩んでいた薫の身体は、完全に芯が抜けたようだった。
「……けんしんのは……?」
うっすらと目を開けて、薫が剣心の陰茎に手をのばそうとする。薫の手をそっと押し留めると、剣心は薫の膝裏に手を入れて持ち上げた。
「今日はいいよ。いま触られたら……ひとつになる前に、溢れてしまいそうだ」
剣心の言葉の意味を、薫はすべて理解できたわけではなかったようだけれど。剣心につられて、笑顔で承知をしてみせた。
「なんか……恥ずかしいよ……」
「大丈夫だから……。このままじゃ辛いだろうし……」
固くなっている薫の陰核に、剣心が舌先をつける。ひゃぁ、と驚きの声を上げたものの、薫は剣心に身を任せた。
上下に舐めあげたり、性器全体に舌を差し入れるように這わせる。控えめに潤んでいた薫の性器が、唾液にまみれて人肌に馴染み、やわらかくほぐれていく。
「痛かったら言ってくれ。すぐに止めるから……」
「ん……だいじょうぶ……」
膣口に亀頭をあてがわれた薫は、これから繋がる部分を腹ごしに見下ろした。男と女の身体の間に、具体的に何が起こるかは知らなかったけれど。こうやって、ひとつになることができるのだということは、本能が理解していた。
「かおる……」
「ん……!」
亀頭の半分ほどが埋まったところで、めりりと内臓が開く感覚があった。粘膜に守られていた内壁が、少しずつこじ開けられていく。
「っい……!」
「は……ぁ……」
これまで意識したことのない部分が、ぴりぴりと痛んだ。ゆっくりと剣心の先端が進むにつれ、薫の内側から流れ出た粘液が違和感を中和し始める。亀頭が埋まり、陰茎が半寸ほど進んだところで、薫が眉をゆがめた。
「ったぁ……!」
「かおる……もう……」
「……めっ……だめ……」
「やっぱり、もう……」
「……め……やめ……なぃ……で……」
薫は口だけで呼吸をして、痛みを逃がそうとしていた。
いくら求めてくれてはいても。身体を無理やりこじ開けてまで、夫婦になる必要はない。
そう判断して腰を引こうとした剣心を、薫は足首を使って絡めとるように縫いとめた。
「……や……! けんしん……」
「でも……」
「いい…から……っ……! だいじょうぶ……だから……!」
いつの間にか涙すら浮かべている薫に、剣心はおそるおそる応え始める。
なけなしの理性で、奥まで突くことはかろうじて留まった。ほぐれて道のついた薫の膣内を、ゆっくりと往復する。ぎちぎちと剣心を押し出そうとする幼い薫の動きは、剣心にとって強すぎる刺激となる。
心地よいはずのない剣心の侵入に、薫は痛みに耐えながらも笑顔を見せたから。待ち望まれているという安心感と開放感が、剣心の熱を急激に高めていった。
「はぁ……あ……かお……っ……ん、ン!」
膣の浅い部分に、剣心は思い切り精を吐き出す。収めきれなかった精液が、薫の陰唇や太ももを白く濡らした。
「あ……けんしん……」
性器を抜き取られて、覆いかぶさる剣心のくちづけを受けながら。薫はそっと、自分のねばついた性器や太ももに触れてみた。これまで、剣心の精液は何度か目にしていたけれど。それが自分の中から流れ出てくる感覚は、奇妙な感慨を薫にもたらした。
「ね、剣心」
「うん……?」
「これで、お嫁さんになれたの?」
「……ああ。でも無理にこんなことせずとも、薫は……」
「じゃあもう、剣心以外のお嫁さんにはなれないね」
痛みの残る薫の笑顔は、それでも本心からのものだったから。剣心はただ、くしゃりと薫の髪を撫でてうなずいた。