鉄壁のブラザー・シップ(12)

「ソースケ、どこ行くの?」
テクニカル・ブリーフィングの後、思い思いに散っていく面々の中で、一人廊下を逆行していく宗介をかなめが呼び止めた。
「倉庫だ。一週間ほど掃除当番と備品チェック当番を命ぜられた」
「それって、昨日の……」
「うむ。懲罰だ。軽微で済んでありがたいことだ」
「あ…あたしも一緒に行く」
「千鳥? 別に君が気にすることは……」
「行くっていってるの!」
「……そうか」
「その前に、ちょっと厨房寄っていい?」
「かまわんぞ」
厨房につくと、かなめは奥で何かを物色し始めた。直立姿勢のまま佇む宗介に、カスヤ上等兵が話しかける。
「お、サガラ軍曹。こんなところまで護衛かい?」
「いえ。千鳥が寄りたいと言ったもので」
「仲がいいんだね。なんだろ? 探し物?」
「聞いていません。掃除用具かなにかかと」
「掃除? ああ、昨日の武勇伝のお仕置きか。ここには、調理器具はあっても掃除用具はないはずだけど。忘れ物かな?」
「千鳥は、よくここへ?」
「軍曹が隊務中の時とかにね。最近じゃ、技術班につかまってて、たまにしか来てくれないけど。こっちとしちゃ、毎日でも来てほしいくらいなんだけどな」
「彼女が手伝いを?」
「ああ。彼女、相当の腕だよ。お母さんにずいぶん仕込まれたみたいだ。一人暮らしだって言ってたし。せっかくだから深海料理の真髄を伝授しようとしたら、断られちゃったけどね」
「なるほど。確かに、千鳥のカレーは絶品です」
「そりゃ、ごちそうさま。そうそう、軍曹が4皿おかわりしてた一昨日のカレーは、かなめちゃん作だよ。さすがだね」
「それは知らなかった。ふむ……」
そこはかとなく満足げに考え込む宗介を、カスヤは微笑ましく見守る。その一方で、夕食準備を始めるべく、ボウルやカゴをてきぱきと調理棚から出し始めた。
「息抜きになるみたいだね、厨房にくると。専門的なことばかりしてるから、ここで料理を作ってると、東京にいるみたいでほっとするんだってさ」
初耳だった。宗介が知っているミスリルでのかなめの姿といえば、高度に工学的な技術会議に出席したり、開発室にこもったり、クルーと談笑したりという姿ばかりだ。それはそれで楽しい、とかなめから聞いてはいたが、やはり東京でごく普通の生活を送っていた彼女からすれば、特殊な環境に違いない。
「急にしゅんとしちゃったね、軍曹」
「いえ、問題ありません」
「なんとなく分かるよ、俺も東京出身だから。やっぱ、ココとは違うよね。でもね、それを差し引いて客観的に見ても―――かなめちゃんが『普通の東京での生活を送る女子高生』に戻るのは無理だと思う」
同じようなセリフを、何人かの違う人間から何度か聞いてきた。
分かっている。彼女はもう、『こちら側』の人間だ。本人が望む望まないにかかわらず。ミスリルが放り出したところで、どこかの国や組織が必ず彼女を欲しがるだろう。東京での生活と、ミスリルでの生活と。微妙なバランスを保っている今の状態が、たぶんぎりぎりの境界線だ。そして、そこに個人の意思が絡む余地は、当然ながらない。
「大丈夫。軍曹だって慣れない東京での生活に、少しずつ馴染んでるだろう? かなめちゃんはその逆ってだけだよ。うまくやれるよ」
「そうでしょうか」
「うん。それに、あの子にはサガラ軍曹だってテスタロッサ艦長だって、俺たちだってついてる。なにより、彼女自身ががんばってる。大丈夫だよ」
カスヤが魚をおろし始めたところで、かなめが戻ってきた。二、三の言葉をかわして、二人は厨房を後にする。

『大丈夫』
その通り。『大丈夫』だ。
いまは。
でも、何に対して?

「うわ、結構広いわね。これ全部チェックするの?」
「いや。おもだったものだけだ。さすがにすべては確認しきれん」
「っつっても、こんだけあるんでしょ? ひゃー……」
宗介が持つチェックボードを覗き込む。軍用毛布、非常食、医療キット……ざっと五十項目近くが並んでいた。
「うむ。まずは掃除だ。それから備品チェックにかかろう」
「うし!」
気合を入れたかなめが、小脇にかかえたエプロンをぐいっと締める。
「厨房で探していたのは、それか」
「うん。掃除するんなら、と思って」
きびきびとホウキとチリトリを動かすかなめが、こともなげに答えた。『ソースケはそっちの箱持ち上げて』など指示を飛ばすことも忘れない。
こんな光景には見覚えがあった。
陣代高校での掃除の時間、同じように彼女は同級生たちを的確に指示していた。平和で穏やかな時間のなか、無邪気に、年相応に。
「ちゃっちゃ、ちゃっちゃ、ちゃちゃちゃらら~♪」
横目で見ている宗介をよそに、かなめはご機嫌で鼻歌を歌い始めた。
「む。それは……」
「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク。うちのガッコの掃除の時間に流れてるアレよ、アレ。掃除すると思わず口ずさんじゃうのよね~。なんつーの? パブロフの犬状態? ちゃっちゃ~、ちゃららちゃちゃちゃ~♪」
「むぅ。たしかにこう、義務感に駆られるな」
「でっしょー? さ~ちゃっちゃと働く! てっててれれれ、てってれれれれ♪」
かなめが即興で奏でる音楽につられて、宗介もきびきびと動く。
「どうやら、俺も高校生が板についてきたらしいな……」
一人充実感を噛み締めていた時、はたと気づいた。
テッサの部屋で見た二つの領域、陣代高校でのかなめの強気な笑顔、テクニカル・ミーティング中の超人的な頭脳、ASの襲撃を逃れ、『怖かった』とすがり付いてきた泣き顔。いくつもの場面が紙芝居のように入れ替わる。
そうだ。境界線なんて、たぶん、ない。
だってこんなにも、『こちら側』に『あちら側』が混在している。『境目』とか、『行き来』とか。そんなのは勝手な思い込みに過ぎないのではないか。

「タ、タ、タタタ、タタタ」
無表情のまま抑揚のない小さな声で、読経とも朗詠とも鼻歌ともつかぬものを口ずさむ宗介を見て、かなめはしばし絶句していた。

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