鉄壁のブラザー・シップ(2)

「今日の実験は終わったばかりだ。なにも、急いで行くことはないのではないか? 千鳥」
心無しか不服そうに、宗介はかなめの後をついていく。Tシャツとデニム地のタイトスカートという軽装に着替えたかなめは、迷いもせず早歩きで格納庫へ向かっていた。
「だって、気になるじゃない。明日には実戦でテストなのよ?」
「気持ちはわかるが、まずは水分補給でも……」
「それ、さっきも聞いたよ」
苦笑いしてつっこむかなめの言葉に、宗介は無表情なまま落ち込んだ。分かりづらいその変化に気づいたかなめが、足を止めて振り返った。
「ソースケ、本当に口説き文句下手だよね」
「俺は、クルツとは違う」
むすっと答える宗介を、かなめは下から覗き込むように見上げた。
「知ってるよ」
「そうか」
穏やかに微笑みかけるかなめの笑顔が、なぜか悔しい。直視できずに、宗介は待機姿勢をとる時のように視線を上へ投げた。
そんな宗介を見て、かなめが恥ずかしそうに言う。
「えっとね……その、ほら……あたしだって早くひと段落させて……ソースケと……その、一緒にいたいなって……思ってるんだよ? だから早くこういう仕事は終わらせちゃいたいなぁなんて……。うー……ホラ、ソースケ、またいい釣りスポットを見つけたって言ってたじゃない? そこ行ったりとか、その、いろいろと……」
次第に不明瞭になっていくかなめの言葉が、宗介の中のわだかまりを溶かしていく。無性に寛大な気持ちになる。
「そうか」
「そうよ。だからホラ、早くアルのところ行ってさ、終わらせちゃおうよ」
「了解した」
軽くなった足音が、格納庫へ続く廊下に響く。

「アルのとこにもデータ来てないのね? となると、実験機に問題があるのかしら」
『しかし、計画にとって大きな障害となる情報ロスではありません。問題視する必要性は感じません』
「うーん……」
レーバテインのコクピット内で、かなめがモニタを見比べる。眉間のしわが、彼女の苦悩を物語っていた。
右目と左目をせわしなく動かしてはメモをとり、たまに頭をかいてはキーボードを叩く……それを繰り返してモヤモヤが頂点に達した頃、かなめの耳は小さな音楽をとらえた。
懐かしさとさびしさとあたたかさを含んだような、静かな曲だ。レーバテインの足元で、いそいそと釣竿の手入れをしている宗介に答えを求める。
「ソースケ、外でなんか流してる?」
「いや、特に放水している様子はないが」
「……。あーもういいわよ。アンタにこういう気の利くマネができると思った私がバカだったわ」
「何の話だ?」
「なんでもない。気にしなくていいから、もうちょっと待ってて」
「了解した」
心持ちいじけた表情で、かなめがモニタへ再度向き合う。ぶちぶちと小声で文句を言うのも忘れない。
『八〇年代のイタリア映画音楽です。気持ちが落ち着くかと思いまして』
意外なところから声がかかった。
「アル? あんたが流してるの?」
『肯定です。作業の邪魔になるようでしたら、中断いたします』
数秒あっけにとられた後、かなめは感心してうなずいた。
「ううん、このままお願い。イライラしてたのがなんかスッキリしたわ、ありがと」
『恐縮です』
「でもアルったら、センスあるじゃない! ソースケにも見習わせたいもんだわ、まったく」
『軍曹殿はこういったことには疎いですからね』
「疎いってレベルじゃねーわよアレは! 歌は『モスクワ郊外の夕べ』しか知らないとかいうし! ……ま、あきらめてるけどね。ソースケにそういうのを求めるのは」
『懸命な選択です』
妙な連帯感とリラックスしたムードの中、かなめは検証を再開する。ぱたぱたとキーボードを叩き、モニタをチェックし、パケット量を測定する。
緻密で面倒な作業だ。それでも、自分を気遣ってくれる『二人』を身近に感じているせいか、ゆったりした気分のままでいられた。
そう、心身ともに力が抜けるほどリラックスして―――

『―――さらに、こちらの計測グラフから推測すると……ミズ・チドリ?』
返答のないかなめに、アルが聞き返す。コクピット内の様子を確認すると、アルはスピーカーの音量を引き絞った。
モニタを見ていたはずのかなめは、いつの間にか眠っていた。
ディスプレイの輝度を落とし、戦闘用位置になっていたシートを、最大限までリクライニングさせる。アルが外部モニタを確認すると、宗介はいまだ釣竿の手入れを続けていた。
かなめの寝息と小さく流れる音楽だけが、しばらくの間コクピットを占拠した。

穏やかな時間を破ったのは、コクピットへよじ登ってくる宗介だった。
「千鳥、そろそろ行かんと夜のミーティングまでに戻れなくなる」
さすがにかれこれ1時間近くコクピットにこもっているかなめが心配になったのか、宗介はハッチに手をかけた。だがその瞬間、なぜか内側からハッチがロックされた。
「千鳥? どうした?」
ロック音をかなめの拒絶と受け取り、心当たりのない宗介は焦った。ロック解除ボタンを押し、ドアを開けようと試みる。
『お静かに、軍曹殿』
「アル? 千鳥はどうした? なにかあったのか!?」
『お静かに、と申し上げました。軍曹殿。ミズ・チドリはご無事です。ただ眠っておられるだけです』
「眠って? なぜこんなところで……」
『お疲れなのでしょう。このうえ暑い中海釣りへ連れ出そうなど、狂気の沙汰です』
「なんだと?」
『ミズ・チドリはラムダ・ドライバ搭載機量産計画にとっても、本隊にとっても、なくてはならない存在です。心身ともに健康でいていただく必要があります』
「そんなことは百も承知だ。いいから、ここを開けろ」
『お言葉ですが軍曹殿、あなたの行動はミズ・チドリの身体を気づかっているとは思えません。二人きりになりたいお気持ちは今は抑制すべきです。今のミズ・チドリに必要なのは、レクリエーションではなくリラクゼーションで……』
「せっかくだけど、もー起きたわよ! まったく、こううるさいと、うたた寝もできゃーしない!」
ハッチごしの騒ぎに目を覚ましたかなめが、一人と一機をハリセンで打ちすえた。

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