足下を見よ

「承知しました。しかしまあ、奇妙な申し出ですな」

屈託なく笑う住職に、薫はどんな顔をしてよいのか分からず曖昧に微笑んだ。
おそらく彼女と同じ立場だったら、誰もが同じような対応をするだろう。
『自分が埋葬され、戒名を授けられたことをなかったことにしてくれ』なんて、どんな顔をして申し出るべきか分かる人間はそう多くはあるまい。
こんなとき笑顔で場を和ませるはずの剣心は、薫の隣で何事か深く考え込んでいるようだった。
曲がりなりにも笑顔の住職と薫に対して、話を聞いていないかのような面持ちを崩さない。

「幕末や戊辰の役の時に『戻らないから墓と戒名だけでも授けて欲しい』という申し出を受けたことはありますが。埋葬されたはずのご本人が現れて『戒名を取り下げて欲しい』とおっしゃるとは。いやいや、めずらしい。 長生きはするものですな」

本堂に住職の笑い声が響く中、世話人の女性が茶を運んでくる。
見計らったような間合い。
理由は分からないが、彼女からは苛立ちが伝わってくる。
何かに向けられた怒りではなく、向けるものがないからこそ余計に苛立つ種類の理不尽さだ。

「そりゃあ、めずらしくもあるでしょうよ。
巻き込まれて殺された相手と夫婦になろうなんて心がけの娘、そうそう居やしませんものねぇ。お侍さんは果報者ですこと」

言葉遣いと口調は恭しいが随所に棘が感じられる。
終始わざとらしい笑みを絶やすことなく女は茶を供じる。
ねっとりとした視線で剣心と薫を交互に見やると、物言いたげに本堂を後にした。
女の気配が去った後で、住職が庇うように言った。

「どうか気を悪くなさらずに。あの人も戊辰でご主人を亡くされてね。色々と……」
「気になさらないでください」

言葉を濁す住職に薫は笑顔を返す。
『生き返って』からここしばらく、いろいろな種類の好奇の目に晒されてきたのだ。
厭味のひとつふたつ気にもならない。
適当に挨拶をして腰をあげる。

「何にせよご無事だったことは喜ばしいことです。拾った命、大切になさい」

本堂を出ると薫は墓場に足を向けた。
その先には『自分が埋葬されていた墓』がある。
検分のために弥彦や蒼紫たちが暴いたということだから、そこにはもう何も埋まってはいないと知っていたのだけれど。
薫の後ろをついて歩いていた剣心は、彼女の行き先を察すると足を鈍くさせた。
だがそれでも薫が歩を緩めるつもりがないことを知ると、今度は薫との距離を縮めた。
まるで護衛するかのように。

「見に行くだけよ?」
「分かっているでござるよ」

柔らかい笑顔。
けれど、剣心がこの顔をする時は必ず我を通す時だと薫は知っている。
人当たりはいいが頑固者でもある彼の性質。
そのままの距離を保って二人は歩き続ける。
有事の際に護れると男が確信する距離。

辿り着いたその場所は、寺が有する林の中にあった。
地ならしされてはいるが、一部土の色が違っている。
『暴かれた』薫の墓穴があった場所なのだろう。
隣には墓石の完成を待っていた墓杭と香炉が所在なさげに佇んでいる。

「何だか変な感じね」

自分が入っていた墓を目の前にした正直な感想だった。

「私ここで死んでいたのよね」

びくり。
剣心が強張ったのが分かった。
薫と同じく、剣心も薫の墓を見るのははじめてだった。
薫の死を受け入れられずに、葬列にすら参加しなかったのだから。
たった今ですら、この場所にいるのは苦痛だった。
薫には少しでも死の匂いから離れた場所に居てほしかった。

「ねぇ 剣心。私ね」
「ん」
「小さい頃は、死ぬのがすごく怖かった」

薫は自分の墓穴を観察するように見つめていた。
その視線は真摯で、まっすぐで。
そのまま吸い込まれてしまいそうな錯覚を剣心に起こさせた。
暗い墓穴から影が伸びて薫の足元を這い回る。
そんな嫌な想像をした自分を剣心は嫌悪する。
見せかけであったとはいえ、ここは彼女の死があった場所だから。

「……今は?」
「ん……。今は、死ぬこと自体は怖くない」

剣に生きる者が死を受け入れるのは至極当然のことだ。
けれど、彼女に限って剣心はそれを嫌悪した。

「死ぬって、私が居なくなるってことよね。今こうして休みなく何かを考えていることや、動かしている手足がなくなって」

薫は死を想像する。
止め処ない思考が消え、当然のように脈打っている手足が冷えていく感触。
鼻から吸い込んだ最後の空気が肺を通って出て行く。
生の終りに吐き出す空気は、亜鉛が炉を流れるようにゆっくりと確かな重みを持って身体を通り抜ける。

「ただ、それだけのこと。きっとあと百年もすれば私のことを覚えている人間なんて一人も居やしないわね」

それはある面では救いですらある。
永遠を求められない生という救い。
死は必ず訪れるという固定された事実。
生まれたその時から、誰しもが確実に死に向かっているのだから。
もちろん薫も剣心本人だってその外ではない。
けれど、『いつか薫が死ぬ』そんな当たり前の現実さえ剣心には受け入れがたかった。
死を語る薫はひどく剣心を苛立たせた。

「もちろん今死ぬ気はまったくないけど。明日ここに埋められたとしても全然不思議じゃないのよね」

耳を塞ぎたかった。
たぶん薫はわざと剣心の傷を抉っている。
そう知っていても。

「人を愛することは、失う怖れと共に生きていくこと」

いつか島でそうしたように、歌うように口にする。
愛とその覚悟を差し出すために。

「今度私が死んだら、ちゃんとお葬式に出てね?剣心が喪主になるんだから」

彼女が並べていることはたった今起こってもおかしくない現実で。
それだけに剣心を戸惑わせた。
ずっと想像することを避けていて、直面した後ですら逃げ出した現実。
薫は克明に残酷に突きつける。
子どもに諭すように。

薫の死が、剣心の目の前に鮮明な映像となって現れる。
息を引き取った薫。
彼だけが知るあたたかく柔らかい肢体はそこにはない。
つめたく堅い死で塗り固められた身体。
泣くことすらできない自分。
その横で彼女は死化粧をされ、棺に納められる。
夫として葬儀を取り仕切ることになる。
葬儀では燕や妙をはじめとする多くの人間が涙する。
弥彦は人前では泣かないだろう。
恵は叱責するかもしれない。
葬列が彼女を運ぶ。
薫が暗い穴に納められ、黒い土で封じられる。
そのような手続きを経て、薫はこの世から居なくなる。
無明の闇が続く世界に自分を残して。

「そんな顔しないで」

わざと明るく薫は微笑む。
そこにまとわりついた死の影を振り払うように。
「今死ぬなんて言ってないでしょ?夫婦になるんだから、剣心が私を見送ることもあるかもしれないってこと」

可能性すら考えたくなかったのは傲慢だと分かっている。
自分が先に死ねば、薫が同じ思いをするだけなのだ。
彼女ならば自分と違って、一人でも気丈に生きていくだろうなんて、無責任な想像をどうしてできるだろう。
同じ思いを抱えていることにすら目を背けていた。

「ずっと一人で生きてきたのにな」

いつどこで死んでもそれでいいと思っていた。
そのつもりでいたし、未練もなかった。
いつの間にか、生きることに執着するようになっていた。
剣心が生きる意志を持っていることを確認すると、薫はかつて縁に伝えた言葉の続きを口にした。

「人に愛されることは、その人を遺してはもう決して死ねないということ」

二律背反な言葉。
けれど、どちらも真実で。

「もしも私が死んでも、ちゃんと笑えるようになってね」

本堂で薫が住職に向けたように、曖昧に笑ってみせる。
まだ約束できる自信はなかった。

「一分でも一秒でも、あなたより長く生きるつもりでいるけれど。生きている限りあなたの隣で笑っていられる覚悟はあるわ。けど、ともに生きることはできても、ともに死ぬ約束はできないから」

手が差し伸べられる。
自然とそれに合わせて指を絡ませる。
まるで二枚貝のようにぴたりとおさまる。
あるべきものが、あるべき場所に帰ってきたように。

「強くなりましょう、私たち」

絡みつく少女の指の強さが伝えてくれる。
自分の死を受け入れることはできても、相手の死を受け入れる覚悟ができていないのは同じなのだと。
流されぬよう、離れぬように、震える指でしがみつく。

「あなたが死んだら、私も死ぬって言って欲しかった?」
「いいや。それを拙者がもっとも嫌うことを薫殿は知っているでござろう」

そう。
彼のために人生を差し出すことは喜ばれても、彼のために命を差し出すことは忌避されることを薫は知っている。

「やっぱり、あなたが辛いよりは私が辛いほうがましだから。長生きできるようにがんばってみるわ」

きゅうっ。
絡みつく指がきつくしまる。
甘いきつさ。
伴侶の死を見送る辛さを自ら負いたいと言ってくれる幼く、強い妻。
彼女を失うなんて、想像することすら恐ろしかった。
けれど、失う恐怖を得てなお薫を手放せるはずもなくて。
失う怖れとともに生きていく他に道はないのだと知る。
一度は薫を『死なせてしまった』事実を厳粛に受け止めねばならないのだ。
そのために薫は自分をここに連れてきたのだと気づく。
死すら二人を別てないように。
それは死に向かう後ろ向きな決意ではなく。
死するという事実ごと相手を受け入れるということで。
二人の命が尽きたその後も、生き続ける約束を紡ぐ。
永遠の深淵を垣間見る。

死にたくない。
唐突に思う。
生きたい。 生きていたい。
我武者羅にそう願う。
死を恐れるからではなく、生きているからこそこの指先のぬくもりを感じているのだと気づいたから。
そんな当たり前のことが生きる力を生むのだと知る。

死にすら君を攫わせない

言葉にするかわりに手の甲に口づける。
誓いを刻み付けるように。
そのままきつく手を引いて歩き出す。
墓穴から引きずり出すが如く。
反動でよろける薫は、その力の強さに剣心の思いを知った。
歩き出す二人を送る木々のふれあいは、どこか規則正しい波の音を響かせていた。
いつかの、海の音。

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