鉄壁のブラザー・シップ(7)

理不尽な精神的折檻から逃れた宗介は、ぐったりと廊下を歩いていた。脳みそに筋肉があったとしたら、間違いなく普段使わない筋肉を酷使しているはずだ。
疲労と倦怠感がそうさせるのか、なぜだか無性にかなめに会いたかった。リラックスが必要だと、本能が感じ取っている。
足と本能の向くまま、かなめが逗留している艦長用個室の前まで来ると、インターホンを押し込む。上官の部屋という遠慮は、疲労と渇望が消し去ってくれた。
『はーい? あ、ソースケ』
「B-3128、所属は作戦部西太平洋戦隊陸戦ユニットSR……」
「いちいち名乗らなくても、モニターで見えてるわよ」
儀礼に則って、宗介がインターホンへ認識番号と所属を口上している途中で、かなめがドアを開けた。
来訪者の素性を明らかにするまではドアを開けるなという宗介の忠告を、鬱陶しそうにかわしながら、かなめは作業中だったラップトップ・パソコンへと戻った。
「その様子だと、今までお説教だったみたいね」
「うむ……。手痛い処置だった」
「お疲れさま」
口では他愛ない会話をしながら、かなめは器用にパソコンのキーボードを叩き続ける。
所在なくソファに腰掛けた宗介は、相変わらず落ち着くことができなかった。Tシャツを裏表逆に着てしまった時のような、奇妙な違和感が、彼を支配し続ける。
理由は分かっていた。
ここは彼の部屋でも、かなめの部屋でもないからだ。 テッサの部屋にかなめと二人でいることは、なんだか重大な軍規違反を犯しているような気がした。
もちろん、この場にテッサがいたとしても、テッサは何も気にはしないだろう。それが分かっていても。
「大佐殿は?」
「会議だって」
「そういえば、マオと大尉殿も23時半まで外すと言っていた」
「あのコもああ見えてちゃんと偉い人なのねー。感心しちゃうわ、ホント」
「うむ。尊敬すべき上官だ」
「テッサに用だったの?」
「否定だ。特にそういうわけではない」
ふーんと、気のない返事を返しながら、かなめの視線は相変わらずパソコンモニタに張り付いている。
集中しているらしく、宗介のほうを見ようとはしないが、かといって、宗介がここにとどまることを疎んでいる様子はなかった。
そんな放ったらかしの状況でも、宗介の疲労は幾分やわらいだ。同じ空間にかなめがいるというそれだけで、無防備に安心するようになったのはいつからだっただろう。
感慨にふける宗介を知る由もなく、かなめは機械的にキーボードをぱたぱたと叩き続ける。時折、手元の紙にメモや計算をしては、モニタと照らし合わせて考え込む。
今、かなめは現実離れした専門的な領域にいる。見えない壁が、彼女と宗介の間に展開されていることを、宗介は直感的に悟った。
壁の向こうに、宗介はどうやっても入っていくことができない。もう慣れたはずの感覚が、彼をひどく孤独にした。
「急ぎなのか?」
「そういうわけじゃないんだけど。テッサも忙しそうだし、戻ってくるまでに終わればなぁって思って。ほら、あたし、ここの居候だからさ。せめて、これくらいはね」
そうか、とだけ言って宗介は部屋を出た。それにすら、彼女が気づいていたかどうかは、分からなかった。
5分ほどして、戻った宗介が再びインターホンを鳴らすと、今度は返事もなしに扉が開いた。かなめの無用心さに再度忠告を加えた後、先ほどと同じ位置に腰を下ろす。
宗介のいるリビングから見ると、デスクに座るかなめは、書類と機械類の山に埋もれてかろうじて額から上が見えるのみだった。
かなめがいる部屋は、書斎とベッドルームを一緒にしたようなつくりになっていて、ベッドボードに時計や写真立てが置かれた十代の少女らしいパステルカラーの領域と、専門書や機器類が積み上げられた無機質なグレイの領域が、ぼんやりとした境界線を描いて共存していた。
それは、象徴的な光景だった。
グレイ領域の真ん中でてきぱきと動くかなめをぼんやりと見つめながら、宗介は、やはりかなめは反対側にあるカラフルな領域にいるべきなのだ、と漠然と思った。
「千鳥」
「んー?」
「喉は渇いていないか?」
いやに近くで声が聞こえたことに気づいて、かなめはパソコンから顔を上げた。気がつくと、宗介がデスクのすぐ脇に直立していた。
「ソースケ?」
「その……喉が渇いているのではないかと思ってな」
「う、うん?」
「つまり……だ……これを、君に」
目を白黒させるかなめに、ずいっと宗介がドクターペッパーのボトルを差し出す。
「あ、どうも……」
促されるまま、かなめはボトルに口をつけた。見ると、宗介は視線をあちこちにさまよわせている。空調がきいた部屋だというのに、やたらと汗をかいているようにも見えた。
「先ほど、部屋へ忘れ物を取りに戻った折、購入した。あまり根をつめるのはよくない」
「そりゃどーも……」
よく分からぬまま礼を言いつつ、かなめが再びキーボードを叩こうとすると、間髪入れず宗介が言った。
「千鳥、空腹なのではないか?」
「へ? 別にそんなこ……」
そこまで言いかけて、思い出す。
このやり取りには覚えがあった。ウィスパード特有の既視感などではなく、つい先ほどの記憶として。
「あんたって、ほんとワンパターン」
苦笑いするかなめが、今度は椅子ごと宗介へと向き直った。
「君以外の人間を対象にすることはないからな。手法は1種類あれば十分だ」
「……そっか」
「うむ」
照れ笑いするかなめの顔に、仏頂面のままの宗介の顔が近づく。触れるだけの、軽いキス。
へへっと頬を染めるかなめは、モニタに向かっている時とはうってかわって、歳よりも幼く見えた。
「千鳥、確認したいのだが」
宗介がパソコン画面をちらりと盗み見た。羅列されている数式や図形に興味などない。そもそも理解などできない。彼が確認したのは、画面の隅に表示されている時計だった。時計は、22時06分をさしていた。
「なに?」
「必ずしも今、作業を終わらせる必要はないのだな?」
「え? うん、まぁ……」
かなめのとぼけた答えを聞くが早いか、宗介はラップトップ・パソコンのスタンバイ・スイッチを押した。

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コメント

  1. まろ より:

    ワンパターンで攻める宗介と、照れ隠しでとぼけちゃう千鳥が可愛くて可愛くてほほの筋肉がつりそうなくらいニヤニヤしています。橋本さんの描く宗介と千鳥のやりとりや、他のキャラクターたちの会話本当に大好きです!宗介が格好いいのに可愛くてずるいです。最高です!千鳥が操作していたパソコンはスタンバイ状態に入りましたが、私の萌え心は完全に起動されました。ありがとうございました。

    • soulsonic より:

      わーまろさんだ!
      ありがとうございます!

      宗介には「おしとーーーる」みたいな力押し戦法でお願いしたいと思ってやみません。
      無理を通して通りをひっこませる、みたいな。

      パソコンはスタンバイ状態になりましたが、宗介さんは完全にスタンド状態なんつってな!
      起動された萌え心を萎えさせる展開でしたら大変申し訳ないのですが、もしうまいこと
      焚きつけられたらまろさんの作品がまたみられるな!と獲物を前に舌なめずりする三流です。