1.此彼分水

「お預かりしていたものは以上です。間違いはありませんか?」
「はい」
「では、ここに引き取りの署名を」
「はい。すみません、すっかり引き取りに来るのが遅くなってしまって」
「かまいませんよ。しかし、珍しいこともあるもんですね。死んだ人が、自分で検分品を引き取りに来るなんて」
筆を手渡した中年の巡査につられて、薫は曖昧に笑った。
引き取った品は、破れた胴着だとか折れた木刀だとか、今さら持って帰っても仕方のないものばかりだった。それでも、十余年前から続いていた人誅事件に、少しでも向き合うのが、せめてもの自分の役割だと思ったから。薫はその不運の品々を、再び取り戻すことにした。居合わせることのできなかった十数年前の悲劇に、すこしでも入り込む余地がほしかったから。
医者である恵すら欺いたという人形が着ていた胴着は、左胸を中心に切り裂かれ、血で汚れていた。当時鮮血だったと思われるそのしみは、今や茶黒く変色している。ためしに爪で削ってみたが、すでに繊維の奥まで入り込んでいるようで、一向に削り取ることはできなかった。永い永い年月をかけて築かれた情念の氷柱から、滴り落ちた雫のように。
「はい、これで手続きは完了です。もう来ないで下さいよ? お嬢さん」
にっこりと笑って、巡査は薫を送り出す。礼を言って、薫は引き取り品一式を手早く持参した風呂敷に包んだ。
街は何も変わらない。つまずきそうないびつな石段も、おかしな名前のついた小間物屋も、壊れかけた防火桶も。娘がひとり消えたところで、なにひとつ。それはそれで、ひとつの救いなのかも知れない。
陽が昇っては落ち、通りには笑いやら諍いやらがひっきりなしに起こっては消え、子ども達は路地を駆けまわる。世界の、あるべくしてある姿だ。
それは、心強いようで心細い、どこか切ない原風景だ。薫がいなくても世界は当然の顔をしてまわり続ける。
たったひとりの男を除いて。


「おかえり、薫殿」
「ただいま、剣心」
穏やかな笑顔で、その男は出迎える。
剣心は薫が抱えている風呂敷に一瞬目をやるが、特に何を言うわけでもない。それでも、彼がその包みについて教えるよう促していることが薫には分かった。
だから、薫は敢えて気づいていないふりを決め込む。そうすれば、彼はそれ以上追求しやしないから。
「こーら弥彦! 剣心にばっかりやらせるんじゃないの!あんたも洗濯くらい手伝いなさい!」
「っるせー! 俺はケガ人なんだよ!」
「まるまるひとつスイカ食べる元気があれば、十分よ!」
腰に手を当てて仁王立ちになる薫と、縁側に腰掛けたまま言い返す弥彦の騒ぎを聞き付けて、操が居間から飛び出してきた。
「薫さん、おっかえりー! おー緋村も、精が出るねー!けっこうけっこう!」
「何様だおめーは」
「操様よ。文句ある?」
標的が操に移ったことを見計らって、薫はそそくさと自室へ戻る。この穏やかな日常の中に、死の匂いを持ち込みたくはない。修羅場に馴れた面々であるけれど。擬似的なものだったとはいえ、身近な人間の死が、陰を落とさなかったはずがないのだから。
自室の障子戸を閉じる。風呂敷包みを床に置くと、ようやくひと心地つくことができた。まるで、幼い頃親に黙って子猫を拾ってきたような後ろめたさだ。
居心地の悪さが、薫に隠匿をせまる。引き取った品々を風呂敷から梱へ移そうと押し入れを開けたところで、ふいに鏡台に映る自分と目が合った。
薫の動きに合わせて、鏡の中の薫もまばたきし、髪をかきあげ、首をかしげる。肉を持ち、血の通った薫の姿を、鏡は至極当たり前に映し出す。
実際には自分はこうして生きていた。けれど、目の前の死装束だったものからは、どうしようもなく死の匂いがたちこめている。神谷薫の死の匂いだ。それは、秋口の乾いた空気と混ざりあって、薫の足下をぐらつかせる。
隣近所の者たちからも、島より帰宅して後、散々訝しまれた。『葬式で遺体まで見たのに』、彼らは皆一様にそう言った。まともに考えれば、一度死体だった人間が生き返るなど、薄気味悪い以外何ものでもないだろう。警察は苦しい言い訳を触れ回ってくれたらしいが、しばらくの間、薫は隣人とすれ違うたびに幽霊を見るような目で見られた。
それでも、一週間もすれば、世間は生きて動いている薫の存在を認めはじめた。論より証拠とはよくいったものだ。
死者との違いを考える。
未来があること。

ひどく単純で明解だ。
生きるためには、働き、暮らし、歩き、そして笑わねばならない。ほかならぬ、彼のために。
おそらくは、それが模範解答だ。
ほかの答えなんて、取るに足らないことなのだ。そう思わねばならないのだ。
目を閉じる。同じように目を閉じているはずの、虚像の自分を想像しながら。
目が潤むほど力を入れて、ふたたび目を開ける。
鏡の中から見つめ返していた目が確かに生気が宿していたことに、薫はひどく安堵した。

「薫殿」
「はーい?」
名前を呼べば、障子戸が開いて笑顔の薫が出て来る。何の意図も含まない彼女の笑顔は、穏やかでやさしく、等身大の日常を凝縮したようにあたたかい。
「洗濯もひと段落したでござる。ちょうど薫殿も帰ってきたことだし、一服するでござるよ」
「そうね、すぐ行くわ」
ふたたび部屋へ向けて身を翻す薫は、今朝となんら変わるところがない。けれど、何かが剣心の足をその場に引き止めた。異変とは呼べないほどの、かすかな澱み。このところ感じる身体の違和感のせいかもしれない。
「ちょっと剣心、着替えたいんだけど? いつまで開けておくつもり?」
「お、おろ!? こ、これは失礼仕った……!」
「分かったら、閉める! 着替えてすぐ行くから、茶箪笥からかすていら出しておいてくれる? 昨日いただいたの」
「それは初耳でござるな」
「当たり前よ。弥彦と左之助に加えて、操ちゃんまで隙あらばつまみ食いしようとするんだもの。隠しておかないと、どんな諍いが起きるか分かったもんじゃないわ」
「ははは……なるほど」
「操ちゃん、なに不自由ない育ちだっていうのに、どうしてああなのかしらねェ……」
真剣な顔で家庭内問題に愚痴を言う薫に苦笑しながら、剣心は今度こそ戸を閉めた。
いつになく熱弁を奮う薫の態度まで邪推してしまうのは、悪い癖かもしれない。何か隠しているのでは、なんて不安になるのは、己の情けない心根のせいなのだろう。
薫が東京に戻ってすでにひと月近くが経っているというのに、いつまでも思考が暗いままの自分に剣心は苦笑する。朝に夕に、他愛のないことで笑顔を向けてくれる彼女の存在感は、確かにこの手の中にある。それを疑うような真似は、薫に失礼というものだろう。
「あー! ちょっと左之助ェ! 蒼紫様にお茶を淹れさせるとは、どういう了見よ!」
「ああ? コイツが勝手に淹れ始めたんだろうが。俺が厨房に入って人のために茶を淹れるとでも思うのか」
「威張るな! それから、蒼紫様にコイツ言うな!」
茶の準備をしようとして剣心は台所へ来たものの、土間ではすでにお決まりの騒動が始まっていた。
準備そっちのけで他に気を取られる操、茶化すばかりで特に手伝う素振りは見せない左之助、争う二人をしれっと横目で見ながら、てきぱきと盆や茶托の準備をする弥彦、それに黙々と手際よく茶を淹れる蒼紫。家事を続行する者が二人と、脱落者が二人。いつもの光景だ。
「済まぬな、蒼紫」
「ああ」
土間に降りた剣心は薫の指示通り、茶箪笥からかすていらを取り出して切り分け始めた。刃物の扱いは言うに及ばず、切り分ける等分も、食器の準備も手慣れたものだ。
「おっ、かすていら! 剣心、オレのぶん大きめにな」
「どこまで図々しいのよ、アンタは!」
左之助に文句を垂れつつも、剣心の作業を手伝おうと操が皿にかすていらを盛りはじめる。ひとつ、ふたつと迷いのない手つきで切り分けていく剣心に、操がにんまりと笑ってみせた。
「おお~緋村ぁ~! サマになってるじゃないの~! 甲斐甲斐しいことだねェ」
「おろ」
「剣心がこんだけできりゃ、あの不器用な嬢ちゃんも将来安泰だな。割れ鍋に綴じ蓋ってなぁこのこと……」
「だれが割れ鍋で、だれが綴じ蓋ですって!?」
「うおっ! 嬢ちゃん、いつの間に!」
「『剣心がこんだけできりゃ』のあたりからよ。もう、左之助の分はないわよ! 弥彦、ふたつ食べていいからね」
「お、やりぃ!」
「ぬぁあっ! そりゃねーぜ! い、いやぁ嬢ちゃん、今日もべっぴんだねェ!」
「とってつけたようなお世辞言われたって嬉しくないわよ」
「おい剣心、なんとか言ってやってくれ!」
「拙者は割れ鍋ゆえ、そのような気の利いたことは言えぬよ」
「ンだよ、剣心まで! お前らほんと、ケチくせぇ夫婦だな!」
「なんとでもおっしゃい」
剣心は茶菓子を居間に運ぶその背で、しれっと返事をする薫の声を聞く。
二人の関係をからかわれることすら、今では居心地がよくなってしまった。そして、そんな自分なら、すこしは好きになれるかもしれないと、剣心は小さく思う。
永らく隔離していた俗世の愚男たる自分が、急速に手の中に戻って来るこのくすぐったさ。戸惑うことも、自分に幻滅することもあるけれど、存外心地よいものだから。これはもう、仕方がない。
闘いの影など微塵もない光景と、手に入れた答と信念。それに馴染んでいく自分と、そのとなりで笑ってくれる、今一番大切なひと。死のにおいなど、漂う余地もない日常。
そんな風景にすら違和感を探してしまう自分が情けなくなる。『一人で抱え込む性格は困りもの』という薫の呆れ顔を思い出して、なぜかぎくりとした。
地に足のついた日常を提示してくれる薫の純朴な言葉は、時としてずばりと核心を突いてくる。そして、そんな薫の言葉や行動こそが、剣心を流浪人ではない、ただの市井の男へと馴染ませてくれるきっかけだった。それは今では、動機と居心地のよさへと形を変えて、剣心の中にどっしりと根を張っている。いつまでも流浪人のままの心根でいては、薫とこの日常に失礼と言うものだろう。
口だけではなく鉄拳まで飛び交う午後の居間で、剣心はひとり目をほそめた。


「オウ剣心、昼間は騒がせたな。ほいコレ、オレからの気持ち」
「さ、左之!? 気を確かに持て!」
「め、恵さぁああん!! 急患です、急患っ! 早く来て!左之助が、左之助が……!」
「どつき回すぞお前ら……」
左之助から受け取った酒瓶もそのままに、にわかに剣心と薫が狼狽える。騒ぎを聞きつけた恵が、何ごとかと居間から台所へやってきた。
「アンタが急患? 殺しても死ななそうなツラしてるじゃない」
「どいつもこいつも……!」
「ひとえに、日頃の行いだな」
ふるふると震えながら拳を握りしめる左之助の背後から、のそりと津南があらわれた。それを見て、恐慌をきたしていた剣心と薫の動きが、ぴたりと止まる。
「なーんだ、津南さんが一緒だったの」
「いやはや、よかった。拙者、貴重な友人を亡くすかと思ったでござるよ」
「勝手口から失礼した」
「とんでもないです。結構なものをいただいてしまって……」
酒の銘柄を見た薫が、ぱっと明るい笑顔を返す。隣で
左之助が苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、彼女は特に気に留めていないようだった。
「ちょうど、いま夕飯にするところだったんです。津南さんもよかったらご一緒に……」
「そいつぁ、ありがてぇ! オレの読みは、ピッタリだったみてぇだな」
「左之助には言ってないわよ!」
「オイオイ、だれがうまい酒……じゃねえ、津南を引っ張ってきたと……」
「確かに、めずらしいでござるな。津南殿がここへ来るなど」
「高荷先生が会津へ戻ると聞いたからな」
「え、恵さん……?」
意外な組み合わせに、剣心と薫は驚く。が、当の恵はといえば、合点したように微笑んでいた。
「月岡さんも、あまり無茶しないでくださいね。ま、ここの人たちと違って、小さなケガばかりだから、大丈夫とは思いますけど」
社交辞令を交えた大人の対応とはいえ、恵独特の皮肉を織り込んでいるところを見ると、そう遠い仲でもないらしい。顔を見合わせて不思議そうにしている剣心と薫に、左之助がからからと笑って補足した。
「克もよ、ブン屋なんて塀の上歩くような稼業のうえ、この仏頂面だろ? なにかと小競り合いが多いんだと。なもんで、タダで診てくれるありがてぇお医者先生がいるって、紹介してやったんだ」
「払わないのはあんただけ! 月岡さんはちゃんと治療費払ってくれてるわよ!」
食ってかかる恵に、左之助がしまったとばかりに耳を塞ぐ。恵はまだ言い足りないようだったが、ひと通り文句をくれてやった後で口をつぐんだ。
「そうだったの。まったく、ウチに縁のある男の人はケガしてばっかりね」
「ははは、ちがいない」
「剣心はその筆頭でしょ! 笑い事じゃないわよ、まったく!」
「お、おろ……」
「そうだぞ剣心、自重しろ。嬢ちゃんを十八の身空で後家にするつもりか?」
「縁起でもないこといわないで!」
「まったく、ここの人たちは、打ち身に擦り傷、切り傷、刀傷に火傷に、果ては毒まで、ありとあらゆるケガを持ち込むんだから」
「はっはっは! ケガは男の勲章だからな!」
「今の発言で、あんたの馬鹿は歐亞記録に格上げね」
「っのアマ……!」
「さ、馬鹿は放っておいて、夕飯にしましょ」
鼻息を荒くする左之助の横をすいっと通り過ぎると、恵が食器を運びはじめる。薫が慌ててそれに続くと、剣心も鍋を火から降ろした。
さすがに雰囲気を察して、左之助や津南も戸棚から茶碗を出したり箸を揃えたりと、思い思いに手伝い始めた。男三人、台所で黙々と夕飯の準備を進める。
「月岡さん、よく火傷して来るのよね。手先は器用なのに、家事は苦手なのかしら」
「え、そうなんですか? ちょっと親近感かも……」
「ホホホ、お嬢ちゃんも早く上達しないと、剣さんに愛想つかされるわよぉ~」
「ううっ……!」
きゃらきゃらと居間へ消えていく女二人の声を背で聞きながら、剣心が苦笑した。
「月岡殿、火薬いじりもほどほどにな」
「そうしろ克。もうあんな危険物持たされるのは御免だ」
両手に皿を持った津南は、唇の端だけを上げて肩をすくめた。

「あの……」
酒の匂いと喧噪を逃れた蒼紫のもとへ現れたのは、薫だった。普段は快活な彼女が、いつになく遠慮がちなのは、度が過ぎるほど寡黙で無表情な男の前だからかもしれない。
「お茶とかすていら……。お昼の、残りですけど」
「ああ」
薫に見向きもせず、蒼紫は正面を向いたまま縁側に座り続ける。食べるのか、食べないのかすら分からない蒼紫の言葉に、薫は一瞬困惑する。けれど、それならば自由に解釈してよいだろうと勝手に判断して、隣に座った。
急須で茶葉を蒸らす間に、蒼紫の横顔を横目で見る。切れ長の伶俐な瞳に、高い鼻とすらりと通った鼻筋、形の整った薄いくちびる。それらすべてが、すっきりとした輪郭の中に絶好の配置を得ている。襟足にかかる髪の長さは、以前会ったときより短くなっている気がする。長めの前髪はあいかわらずで、せっかくの整った顔立ちを隠してしまうのはもったいないな、と薫は思う。
「以前京都で会った時は、もっと堂々としていたと思ったが」
盗み見る薫の視線に、蒼紫が気づかぬはずもない。蒼紫の声に不愉快さは含まれていなかったが、薫はぎくりといやな汗をかいた。
「そ、そうでしたっけ……?」
「ああ」
京都での邂逅を思い出す。他人だけでなく、自分をも不幸にする兇剣は納めよ、と警告したのは、古都の往来だった。
「あのときは……」
「緋村が最愛の人間だというのが、少々わかる」
「え……」
意外な人物の意外な言葉に、薫は思わずかすていらの乗った皿を落としかけた。『愛』だの『わかる』だの、およそこの冷静な人物から出る言葉とは思えない。
「茶が」
「へっ……?」
「渋くなるぞ」
「え、あ……は、はい!」
手早く茶菓子を蒼紫にわたすと、慌てて薫は急須を傾けた。とぷとぷと音を立てて出てくる茶は、少々時間が経ってしまったものの、あらかじめ温めておいた湯飲みと馴染んで、悪くない色合いだ。その仕上がりに胸をなで下ろすと、薫は湯飲みを蒼紫に手渡した。
「あ、やっぱりちょっと渋いかも……」
口をつけて縮こまる薫をよそに、蒼紫は平然と茶を啜りつづける。あまりの平静さに、味があるものを飲んでいるのかどうかすら、あやしく見える。
「あの……美味しくないなら……淹れなおしますけど……」
「いや」
簡潔すぎるその返事に、薫は二の句が継げなくなる。今に限ったことではなかったが、どうにも、蒼紫の考えていることはよく分からない。
「え、えーと……蒼紫さんてお茶淹れるの、上手ですよね」
「そうか」
「何かコツがあるんですか?」
「いや。京都の水より、馴染んだ東京の水のほうが扱いやすいだけだ」
「あ……そっか。蒼紫さんも、もともとは東京の方なんですよね」
「ああ」
「たまには、東京が恋しくなります?」
「いや」
「それもそうね。葵屋のみなさん、賑やかですもんね」
「ああ」
「これからは、ずっと葵屋にいるんですか?」
「ああ」
「操ちゃん、喜びますね」
「帰りを待っている者がいる場所が、俺の帰る場所だ。それは、緋村も同じだろう」
「……そうですね」
分かりづらい蒼紫の優しさを、薫のなかの深い部分が感じ取った。
強さなどでは勝ち得ない、愛でるべき本当の華を、この人は手に入れているのだと知る。同時に、それでも相好を崩すことのない蒼紫の苛烈な過去と、『徹底した現実主義者』と自称する難儀な性格も。
だから、聞けると思った。修羅を乗り越えて立ち上がったこの男になら。
寡黙で、冷静で、人を寄せ付けない雰囲気を持った男だけれど、そこには同時に、深い湖のような揺るぎなさがあるから。
「わたしの身替わりになった人形を見破ったのって、蒼紫さんですよね」
「ああ」
「似てました? そんなに」
「医者が見間違える代物だった。作った本人によれば、造形美の結晶にして最高傑作だそうだ」
「遺体から作られたって……聞きました」
「あの男が勝手にやったことだ。気に病む必要はない」
「そうだけど……。いったい、何人の……」
「おそらく、三桁には届かないだろう」
「そんなに……」
痛々しさに、薫が顔をゆがめる。死してなお、安寧を陵辱された死者たちに、してやれることなんてひとつもない。だからこそ、行き場のない感情が、薫のなかにわだかまる。
「人形は火に葬して弔った。二度と辱められることのないように」
「そうですか……」
「昼間出ていたのは、それか」
薫の言動と態度から、蒼紫は容易く彼女の尋ねた先に心当たった。
「剣心には、言わないで下さい」
薫が来てこのかた、正面を向いたままだった蒼紫が、はじめて薫へと顔を向けた。薫は、湯飲みの中を、何を見るでもなく見つめていた。
「答を見つけたいま、なにを聞いても奴の心はそう容易く折れはしないだろう」
「分かってます。……それでも」
「そうか」
「あのひと、心配性だから……」
剣心本人も、周りの人々も多くは語らなかったけれど。薫がいない間、剣心がどのように崩壊したのかは、なんとなく想像がつく。彼の強さと、その裏にある脆さを知っているからこそ、『一緒にずっといたい』と願ったのだから。
「わたしは、巴さんだけじゃなくて、たくさんの人たちに生かされたんですね」
「ああ」
それだけは、決して忘れてはいけない、と薫は思う。心ならずも身替わりになってくれた死者たちに、かける言葉や、してやれることはないけれど。ほんのすこしだけ、たくさんの命を斬ってきた剣心の気持ちに触れたような気がした。
「あの、蒼紫さんにも、今回の件ではお世話に……」
「薫殿、操殿が探しているでござるよ」
話を続けようとしたところで、障子戸から剣心が現れた。薫の隣にすとんと座ると、盆のうえに置いてあった薫の飲みかけを啜る。
「操ちゃんが? なにかし……」
「あっ薫さん、ここにいたんだ! ねぇねぇ、あのネクラ兄ちゃんが、錦絵描いてくれるって! 一緒に描いてもらおうよ!」
「え、ほんとう? いま行くわ」
操について、薫が障子戸へ消える。気配が遠ざかるのを待ってから、蒼紫が口を開いた。
「なるほど、心配性だな」
「拙者も俗物ゆえ」
薫が使っていた湯飲みを手のひらで包み込んで、剣心がしれっと微笑んだ。

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